ふと、世界が停止することがある。 日常的な価値そのものが立ち消えて、そこには自分と自分の重さのようなもののみが存在している。 そうすると直ちにこの疑問が立ち現れる。 「私は誰か」 もちろん、「なぜ存在するのか」とか「どのような構造なのか」とか「どのような関係性の中で生きているのか」とか、いわゆるそうした問いも、そこには内在されている。 特に答えを求めているわけではないし、答えは「私は私である」でも良い。しかし、僕にとっては、その問い自体が重要である。それは自我感覚が薄いからかもしれないし、本質的な意味で社会や他者にあまり興味がないからなのかもしれない。 それにしても、私とは誰か。我々は我々の向こう側を、我々の頭で理解することに脆弱である。私の向こう側に私は存在するのか。私にとって世界は存在しているのか。 そういう哲学的に言えば軟弱な問いが僕の頭の中で駆け巡る。 HTTP se