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鈴村智久の研究室 M・ハイデッガー『形而上学入門』
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鈴村智久の研究室 M・ハイデッガー『形而上学入門』
ハイデガーは、奇妙な問い方をした。 「なぜ有るものがあって、むしろ無ではないのか?」 彼は、この問... ハイデガーは、奇妙な問い方をした。 「なぜ有るものがあって、むしろ無ではないのか?」 彼は、この問いは、孤独と絶望の淵から、暗黒の渦のようにして我々の前に生れ落ちる類の問いであると規定している。 それゆえに、この問いは、『形而上学入門』において、ハイデガーの本質的な主要な問いになったのである。 彼はこれを、あらゆる問いの中の問い、として規定している。 哲学とは、彼にとっては「問い」なのであって、それは何か答えを提示する学問ではない。 哲学は、徹頭徹尾、問いの探求、問いを問い続けることにのみあるとする。 そして彼は、この問いを問うことが、哲学であるとまで断言している。 私は今、机の上に置かれたリンゴを見つめている。 それは、そこにある。 だが、何故あるのか? 何故、〈ある〉のか? このリンゴは、何故〈あるもの〉なのか? 「リンゴが、〈ある〉」とは、どういうことなのか? それは、誰が〈ある〉よ