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キリスト教と戦争を考える -長崎の原爆と浦上燔祭論を通して - 西の人
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キリスト教と戦争を考える -長崎の原爆と浦上燔祭論を通して - 西の人
歴史神学特殊講義 課題:キリスト教と戦争を考える -長崎の原爆・浦上燔祭説を中心に (1)はじめに ... 歴史神学特殊講義 課題:キリスト教と戦争を考える -長崎の原爆・浦上燔祭説を中心に (1)はじめに 春学期、この授業では、「初期から中世にかけてのキリスト教が戦争をどうみなしていたか」という視点から資料を読んできた。キリスト教史において、戦争や政治との関わりを考える上で決定的なのは、コンスタンティヌスのキリスト教国教化であると私は考える。そして、個別にどのように弁証しようとしても世界史の中で、その名の下に最も多くの血を流してきたのがキリスト教であることは、否定できない。思想として考えてもでも20世紀の共産主義思想に次ぐ、あるいは並ぶものと云えよう。(例えばトマス・アクイナスの正戦論が影響を与えた十字軍の実体を、アミン・マアルーフは『アラブから見た十字軍』(筑摩学芸文庫 2001)の中で他宗教・文化に寛容で安定した平和な社会への“フランク人の侵略と虐殺”として生々しく描きだしている。) アラ