エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
乞食と米に外道な私: 極東ブログ
現代日本では乞食を「こじき」と読んで卑しむ。働かないで物を貰うというのはよくないという倫理が歴史... 現代日本では乞食を「こじき」と読んで卑しむ。働かないで物を貰うというのはよくないという倫理が歴史的に形成されてきた。が、世界を見渡すというそういう国ばかりではない。逆に働くことが卑しむべきこととされる文化もある。そういう宗教もある。仏教がそうだ。乞食を「こつじき」と読む。托鉢と同じ意味。頭陀(ずだ)とも言う。食住に対する貪欲をはらいのける修行で十二種あり、十二頭陀行という。厳しい。最近ではiPodしながら托鉢するのはいけないことになった。 田畑を耕して食物を得るのも欲の部類だろうか。日本の仏教者にはそういう感性はあるまいなと思うかもしれないが、正法眼蔵随聞記(参照)の道元は乞食として生きた。徹底していた。食い物のことなど心配するなと言っていた。イエス・キリストの生まれ変わりかもしれない。 昔一人の僧ありき。死して冥界に行きしに、閻王の云く、「この人、命分未だ尽きず。帰すべし」と云しに、ある
2006/10/23 リンク