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坂のある非風景 列車は始発駅を目指した
私は、他者によって所有される。他者のまなざしは、私の身体をその裸形においてとらえ、それを生まれさ... 私は、他者によって所有される。他者のまなざしは、私の身体をその裸形においてとらえ、それを生まれさせ、それを彫刻し、それをあるがままに提出し、私には決して見えないであろう姿のままにそれを見る。他者は、一つの秘密を握っている。それは、私が何であるか[私がそれであるところのもの]についての秘密である。他者は、私を存在させ、まさにそのことによって、私を所有する。 <ひとはいつ愛し始めるのか、それは相手に愛されたいと望んだ瞬間である>とか<愛撫とは加工である>といった、けっこう知られた命題のある『存在と無』は、ハイデガーの『存在と時間』に対抗しながらまったく違う書物になった。キルケゴールの『あれかこれか』がモーツァルト論であり婚約者との奇妙な恋愛日記でありといった混在物なのと同じで、『存在と無』は現象学入門であり、それまで自分が考えてきたものの集大成としての存在論であり、かつ小説であり、なぜ恋愛論と
2007/12/16 リンク