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ゲームミュージックなブログ ゲーム開発においては、名前が出ている人が必ずしも功労者や元凶であるとは限らないと思う話
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ゲームミュージックなブログ ゲーム開発においては、名前が出ている人が必ずしも功労者や元凶であるとは限らないと思う話
前回『昔、ゲーム制作者がほとんど表に出ることの無かった理由』において、「ただ、ゲームという共同作... 前回『昔、ゲーム制作者がほとんど表に出ることの無かった理由』において、「ただ、ゲームという共同作業の場故に、それにまつわる問題も若干あったりしますが〜」と書きましたが、今日はその問題について書いていこうと思います。 さて、前回書きましたように、昔と違い近年ではクリエイターが前面に出てくるようになりました。これはいろいろな面でいいことだとは思います。しかし、同時にデメリットも生み出している可能性があると考えます。それは「功罪を表に出た人が全部引き受けてしまうということ」。 こう書くと、作った本人がその製品に対して責任を取るのだからいいじゃないか、と思われるかもしれません。しかしながら、その表面に出ている人が、必ずしもその製品に対しての出来に携わっていたわけではないこともあるわけですよね。それは良いにせよ悪いにせよ。 私は、1人で制作するのでもない限り、「ゲームは共同作業」だと思います。