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「自己責任論」を僕なりに考えてみるという件〈再掲〉 - 希望の舎―キボウノイエ―
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「自己責任論」を僕なりに考えてみるという件〈再掲〉 - 希望の舎―キボウノイエ―
この国で声高に叫ばれている自己責任は、弱者に対してのみ向けられる。 貧困を自己責任だと言い募るのは... この国で声高に叫ばれている自己責任は、弱者に対してのみ向けられる。 貧困を自己責任だと言い募るのは前世紀の遺物である。 自己責任を押し付けることによって、責任逃れをしている輩は数多いる。 初出 2018/11/13 僕は巷間にあふれている自己責任に関する言説に強い違和感を抱いている。 かと言って自己責任を全否定するものではない。 人は自分のなした言動にある程度の責任は持つべきであると考えている。 しかし、この国においては、弱者ばかりに自己責任を負わせ、強者は(政治家や官僚、大企業とその経営者等)自己責任を逃れているという倒錯した状況になっている。 この点に僕は強い怒りを覚えるのである。 僕が自己責任論的なものを肌感覚ではじめて味わったのは高校に入ってからのことだった。 僕が入学した高校はローカル・レベルだけれども学区のトップ校である進学校だった。 授業の進度(特に数学と英語)が中学校の時の