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シニフィアンと人工物 - アート哲学・糸崎公朗blog3.2
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シニフィアンと人工物 - アート哲学・糸崎公朗blog3.2
私は「私の中のサヨク」を除去するというより転化しなければならない。除去よりも転化の方が資源の無駄... 私は「私の中のサヨク」を除去するというより転化しなければならない。除去よりも転化の方が資源の無駄にならないからである。何をどう転化するのか? サヨク思想は「自然」を偏重して賛美し、私もそれに絡め取られたのだったが、これを「無意識」へと転化するのである。思えば「非人称芸術」とは「自然」と「無意識」の奇妙なハイブリッドであったが、これをあらためて「無意識」の問題へと転化する必要がある。 「世界」を哲学的に転覆させなければ哲学の意味はない。すなわち私はサヨク的なものの見方、感じ方、判断の仕方を根底のところから転覆できないでいる。心の奥底に沈殿したものは重く、安定しきっている。 まず我々は、アート作品を含むあらゆる人工物をあまりにも自明的に捉え過ぎている。人工物とは何か?それはもちろん人類が登場する以前には存在しなかった。では人工物はどのように発生したのか? 確認可能な最古の人工物が石器だとすると