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会話術
kuroneko.hatenadiary.com
2023年、私は50歳になった。 女性シングル子供無しで50歳、というのは別にレーシック難民ではなくても、実に身体も心もキツいというのを自分が体験してから初めて知った。単なる数字なのに49歳のときの若干の余裕が、50歳になった途端に、社会からも自分自身からも追い詰められた。デッドエンドな未来へ一気に変換される。 レーシック難民になって、それこそ「まさか」50歳を迎えるとは思ってもいなかった。 私の産みの母は50歳を過ぎた頃から体調を崩し、それこそ「まさか」の癌の闘病を10年以上も続け、最後は骸骨のようにやせ細り、血を吐きながらモルヒネを点滴し、病院で亡くなった。不摂生の塊の私はもっと早死するんだろうなと勝手に思っていた。 だから癌保険だけはアホみたいにたくさん入った。 何故か失明保険というのにも入った。 ...しかし、まだ生きている。眼は痛いが、失明もしていない。 レーシック難民ほぼ13年
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