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会話術
morimariko.hatenablog.jp
久しぶりに記事を更新させていただきます。 前回の記事を書いてから2箇月以上が過ぎ、 もうすぐ4月を迎えますが、 本年5月1日に皇太子さまが新天皇に即位され、 それに伴って始まる新元号が公表される4月1日が 近づいてきました。 そのような中で、私の脳裏には、 ご結婚のお話しが延期となっている眞子さまのことが 思い浮かんでおります。 先日、大学をご卒業になった佳子さまが、 眞子さまのご結婚に関して、 「結婚においては当人の気持ちが重要である」 とおっしゃったと聞きます。 私も、佳子さまと同じように思っております。 眞子さまに限らず、どなたがご結婚されるにしても、 その人の「立場」も大事なことであるとは思います。 他にも大事なことはたくさんあると思います。 しかし、結婚における「当人の気持ち」は、 最も重要であり、欠かせないものであると思います。 そして私は、眞子さまのお気持ちを思いながら、 但
新年を迎えてから、 もうすぐ2週間になるところでございますが…… あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 「新しい年がはじまった」ことに因み、本日の記事では、 私が以前から、「出発」というイメージをもっていた 「四門出遊(しもんしゅつゆう)」というお話を、 ご紹介させていただこうと思います。 「四門出遊」は、仏教の開祖である「お釈迦様」が、 出家を決意した経緯を伝えるお話です。 ただ、細かいお話で恐縮ですが、 お話しのご紹介の前に、二つほど説明をさせてください。 一つは、「お釈迦様」という呼び名についてです。 「お釈迦様」というのは、 「釈迦族」の出身なので「お釈迦様」と呼ばれているのですが、 そうしますと、「仏教の開祖であるお釈迦様」に限らず、 釈迦族の出身者は皆「お釈迦様」と呼んでもおかしくない、 ということになります。 ですので、 はっきりと「仏教
※当記事は、本年最後の記事でございます。 当ブログにお越しくださいました皆様、 どうもありがとうございました。 現時点で本年を振り返りますと、 「一期一会」という言葉(禅語)が脳裏に浮かんで参りました。 それは今年、私自身がこれまで感じていた「一期一会」に、 新たな感覚が加わったからだと思います。 そこで、本年最後の記事として書かせていただくことにしました。 「一期一会」は、言葉も意味も、 多くの方がご存知でいらっしゃることと存じますが、 念のため、『明鏡国語辞典』で調べますと、 「生涯に一度だけ出会うこと」と書いてありました。 ご経験された「貴重な一期一会」を大切にされている方も、 多くいらっしゃることと存じます。 私は、これまで経験した「一期一会」に、 ステキな出会いであるからこその「切なさ」のようなものを 感じておりました。 例えば、私は以前、急いでいてタクシーに乗ろうとしました。
本日は、「自由」について、述べてみたいと思います。 『明鏡国語辞典』によれば、「自由」とは、 「他から強制や命令をうけることなく、自分の思いどおりにできること。」 と書いてありました。 強制や命令、また、義務や束縛など、その内容にもよりますが、 (その内容についてはさておき、) 私は、私自身については、 日常生活の中に“~しなければならない”というものがないと、 自分を律することができないと思っており、 「基本的には自由で、少々“~しなければならない”がある」 という状態が「ちょうどいい」と思っています。 また、(あくまでも、私自身の考えではありますが、) 何の束縛もない自由には、 時に、「寂しさ」を感じることがあります。 そして、この度、「自由」について述べようと思った時、 まず、思い浮かんだのは、「行雲流水(こううんりゅうすい)」 という禅語でした。 「行雲流水」について、 『糧になる
被災された各地の皆様にお見舞いを申し上げます。 避難されている方々、作業をされている方々の 安全と心身の疲労の回復を心より願っております。 以前にも申し上げたことがございましたが、私は野球が好きです。 私は先日(9月21日)、ZOZOマリンスタジアムに行き、 千葉ロッテマリーンズを応援してきました。 この日は、 福浦選手が「2000本安打までもう少し!」という日でもあり、 試合開始前からドキドキ♡ワクワクしておりました。 そして、ご存知の方もいらっしゃることと存じますが、 福浦選手は、9月21日に「1999本目」のヒットを放ち、 翌日の9月22日に「2000本安打を達成!」しました。 〈福浦選手、おめでとうございます!!〉 福浦選手は、入団した時は投手でしたが、早々に野手に転向し、 練習について行けなかった、よく倒れ込んでいたというお話しもあり、 落ち込んだり、苦しんだ日々もあったことと思
※本日の記事は、約4,200字になっております。 皆様のご都合のよろしい時にお読みいただけたら幸いです。 今月は、15日が平成最後の終戦記念日であったこともあり、 全国戦没者追悼式における天皇陛下の 「戦後の長きにわたる平和な歳月(に思いを致し……)」 というお言葉を耳にしたこともあり、 「平和」について改めて考えてみたいと思いました。 ただ、私がこれから述べさせていただこうと思う「平和」は、 「戦争」だけを念頭においてのことではなく、 自分の身近で起きるような人間関係の問題も含め、 私たちが「平和」に過ごすためにこのように考えてみてはどうか、 と思いながら述べるものです。 誰もが「平和」を求めていると思いたいのですが、 もしそうであったとしても、 「平和」の意味・定義、有り様について、 “根本的な誤り”や、“認識の違い”があるまま、 それぞれが「平和」を求めても、 「人類の平和が調和する
今月18日に大阪で発生しました地震により、 被災された方々、ご心配が募る方々、 悲しみの中にいらっしゃる方々に、 心よりお見舞いを申し上げます。 様々なニュースが飛び交う毎日ですが、 過去を少し振り返りますと、明るい世の中を感じたこともあれば、 信じ難い悲痛な事件に目を伏せたい気持ちになったこともありました。 そのような中、サッカーではワールドカップ・ロシア大会が開幕し、 日本はまず、コロンビア戦で勝ち、 次の試合では、セネガル戦で同点という結果となり、 昨夜(28日)のポーランド戦では1-0で負けたものの、 決勝トーナメント進出を決めました。 ご覧になっていた方も多くいらっしゃったことと思いますが、 ポーランド戦では、後半に、決勝トーナメントに進出するために、 日本が攻撃をやめた場面がありました。 考え方、捉え方は人それぞれであると思いますが、 私は、監督・選手の方々の「目標・目的からブ
日大アメフト部の選手が危険な反則プレーをし、 関学大の選手にケガを負わせてしまった問題は、 多くの方がご存知だと思います。 また、日大の選手の記者会見、監督とコーチの記者会見、 そして本日、日大の学長の会見もあり、 ご覧になった方も多いのではないかと思います。 私もそれぞれの記者会見の様子をニュース番組の中で拝見しました。 私は、生涯において、 「人は、まちがえない、ということができない」 と思っています。 そして、そのまちがいが自分自身だけで済む問題ならば、 反省したり、学びの機会を得たと思って、 「後悔」をせず、または、「後悔」を終えて、 自己の「成長」につなげればいい、と思います。 しかし、そのまちがいが人に危害を与えてしまったものであるとき、 それは自分自身だけで済む問題ではなく、 「取り返しのつかないこと」になることもある、と思います。 人に「取り返しのつかないこと」をしてしまっ
先日、千葉県印西市にあるピザレストラン 『PIZZERIA OSOROKU』(ピッツェリア オソロク) というところで食事をしました。 〈お店の前のお庭の様子です〉 こちらは、障がいのある方を雇用していて、 注文を取るのも、食事を運んでくるのも、 何らかの障がいのあるスタッフの方々でした。 私は友人と、ピザ2種類とデザート2種類を注文しました。 ←チーズピザ もちろんながら、全部おいしかったです! 私はもともとチーズが大好きなのですが、 左上の写真の「チーズピザ」は、 あっさりしているようでありながら、ちゃんとチーズを感じ、 ふわふわっとしているようでありながら、食べ応えのあるピザで、 私だけではなく、多くの方々のお口に合うのではないかな、 と思うピザでした。 そして食事中、スタッフの方が私たちのテーブルに 注文していない「パスタ」を持ってきました。 隣のテーブルとまちがえたようです。 ま
ここのところ、テレビをつけると、 財務省の(森友学園)決裁文書の改ざん問題のニュース、 また、その国会審議での様子などが流れていると思います。 私は、その様子を見る度に、 この問題から「自殺者が出ている」ということを、 どれほど重く受け止めている国会なのかが気になりました。 不本意な立場に立たされ、 自ら命を絶ってしまった財務省職員のことを思うと、 あの国会に、はっきりと「足りないもの」を感じます。 「こういうことで死者を出すことは二度とあってはいけない」 「虚偽と真実の狭間で苦しむ人を出してはいけない」 という意味での緊迫した空気があってほしい、 と私は思いました。 そのように思う中で、私は、 いつか書きたいと思っていた「忍耐」についてを、 本日の記事にさせていただくことにしました。 先日、オリンピック・パラリンピックが閉幕しましたが、 人があることに努力し、また、耐え抜いた姿に、 感動
※この度の記事は、約4500字になっております。 皆様のご都合に合わせてお読みいただけたら幸いです。 先日(2月25日)、平昌オリンピックが閉会しましたが、 開催中は、テレビでできるかぎり競技を拝見しておりました。 選手の皆さんの陰の努力、 自分を支えてくれた周囲への感謝の気持ちがあふれる言葉、 そして、選手同士のお互いを敬う美しい姿…… たくさんの心を打たれる場面がありました。 スポーツに限ったことではないと思いますが、 「応援の気持ち」と「感謝の気持ち」というのは とても仲良しで、その気持ち同士の相性の良さが、 人と人の関係をより深めていくことを感じました。 それがまた、人が何かをする時の、 大きな力となっていくことも感じました。 そこで本日は、私にとって、 「応援の気持ち」「感謝の気持ち」と通じている・つながっている 「念仏」について、述べさせていただこうと思います。 ご存知の方もい
2018年を迎えてから初めての記事でございます。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 そして、初回の記事は、 「今年、私がしたいと思っていること」 の一つを述べさせていただくことにしました。 それは、 「冷暖自知(れいだんじち)」という禅語を通じて 思い浮かんだことでした。 「冷暖自知」については、 『糧になる禅語』という本の中に説明・例がありましたので、 そちらをご紹介させていただきます(P10,11)。 お風呂から出てきた人から「いい湯加減だったよ」と言われても、自分で入ってみなければ本当にいい湯加減かどうかはわかりませんよね。だって、その人はぬるいお風呂が好きかもしれないし、熱いお風呂が好きかもしれない。冷たいか暖かいかは、必ず自分自身で体験してみなければわからないのです。それが「冷暖自知」。 確かに、人に説明してもらったり、自分で想像してみたりしても、 実際に、体験して知る「
※本日の記事は、約3,800字になっております。 皆様に、ゆるすお時間がありますときに、 お読みいただけたら幸いです。 昨年の今頃、私は2017年の目標として、 「要領の悪さ、行動力・柔軟性の乏しさの修正」 を掲げました。 少々の修正はできたように思っておりますが、 現段階では、来年以降も目指していく目標、となりました。 また、掲げた目標の中で一番難しく感じましたのは、 「柔軟性の乏しさの修正」でした。 柔軟性を気にし過ぎて、 「自分の個性に、よくない意味で影響が出てしまう」 という気がして、ハッとしたことがあったからです。 ですので、ハッとした時から(年の途中から)、 目指すのは、「私らしい柔軟性」というものにしました。 そして、世の中と調和しながら、 「私らしい柔軟性」を実現していくために考えていたことを、 この度の記事で、『「よく生きること」について。』と題して、 述べさせていただく
本日は、「知足(ちそく)」という禅語について、 私が思っていることを述べさせていただこうと思います。 「知足=足るを知る(=足りていることを知る)」は、 老子の言葉としてご存知の方も多くいらっしゃることと存じます。 また、原始仏典と言われている『スッタニパータ』や 『ダンマパダ』(=法句経(ほっくきょう))にも、 次のような言葉が載っています。 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。 (『ブッダのことば-スッタニパータ』岩波書店P37) たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。「快楽の味は短くて苦痛である」と知るのが賢者である。 (『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波書店P36) そして、 私の手もとにある『ほっこり、やさしい禅語入門』という本には、 モノが満
すでに投票を済まされた方もいらっしゃることと存じますが、 今度の日曜日(10/22)は、衆議院議員総選挙の日ですね。 (選挙の度に思うことではありますが、) できるだけ自分の考えに近いところに票を投じたいのですが、 この度も、私は誰に・どこに投票すればいいか、 ピン!と来ません。 独裁的な一党政治では問題があると思いますが、 他の党を批判している姿が目立ち過ぎてしまい、 「私はこれをする」という主張が見えてこない候補者に、 なかなか票を投じる気にもなりません。 また、ご自分の沽券にかかわってしまうような方は、 「国民を優先する」ことができないだろう、 と思いますので、 そのような方にも票を投じることはできないです。 そして私は、「この人・この党に票を入れよう!」 と思える人・党がすんなり思い浮かばない代わり(なのか?) 「国会議員は全国民の代表である」という言葉のほうが、 度々脳裏に浮かん
本日は、「丁寧であること」について、 述べさせていただこうと思います。 私は今年、野球観戦のために、 千葉ロッテマリーンズの本拠地である 「ZOZOマリンスタジアム」に何度か出向きました。 そして、試合中、ロッテの選手が登場する際に、 バックスクリーン上のビジョン(マリンビジョン)に、 決まって出てくる「限界を超えろ!」という言葉を、 私は妙に気に入っておりました。 (こちらの写真は、ロッテ・井口選手の引退試合の日に撮ったもので、(向かって右上に)井口選手の背番号「6」の旗があります!) 実は私は、ふだんから、 「自分のできる範囲のことを精一杯する」のがいい、 と思っております。 それは、 「無理をするのはよくない」と思っているからです。 そしてこれは、 「限界を超えろ!」と矛盾する、 と思っておりました。 しかし、井口選手の、メジャー時代の、 “限界を超えていく”ようなファインプレーを拝
本日は、『「心の住まい」について。』 という題で記事を書かせていただくことにしました。 以前、ユング心理学で著名な河合隼雄先生が書かれた、 『こころの処方箋』という本を読みました。 その中に、 次のようなお話しが書かれていました(P128,129)。 筆者は日本の中世の説話集が好きでよく読んでいるが、その中に次のような話があった。 ある人が死んで冥界に行くと、立派な御殿が建ちつつある。これは誰の住居かと訊くと、未だ生きている人の名前を言い、その人の善行に応じて、こちらに住む家が作られてゆくのだ、と説明してくれる。 結局、その人はもう一度この世に帰されて、このような話をするわけだが、このようないわゆる冥界往還の話には教えられることが多い。 この話によると、こちらの世界の行為に応じて、あちらの世界で住む住居が作られてゆくわけだが、その住居に住む期間を考えると、こちらの住居などほんの僅かで、あち
私は以前、 『「悪口」と「愚痴」と「批判」について。』 という記事を書かせていただいたことがあります。 しかし、こちらの記事の中で、「悪口」については、 「人を悪く言うことだから、 いつの日も「言ってはいけないこと」だと思います。」 ということくらいしか述べておりませんでした。 ※もし、お目通しいただけたら幸いです。 morimariko.hatenablog.jp そして今日、もう少し、 「悪口」について述べさせていただこうと思います。 ご存知の方もいらっしゃることと存じますが、 仏教の開祖・釈尊(しゃくそん)の教えを最も忠実に伝え、 また、仏典の中で最も古いと言われている 『スッタニパータ』という経典があります。 その経典の中に、 人が生まれたときには、実に口の中に斧(おの)が生じている。愚者は悪口(わるぐち)を言って、その斧によって自分を斬り割(さ)くのである。 (『ブッダのことば―
今、高校野球では、 甲子園出場校がどんどん決定してきていますね。 私は、特に詳しいというわけではありませんが、 子どもの頃から野球好きです。 そして今年は、 月一ペースでプロ野球観戦に出かけております。 私には現在、特にどこのチームのファンというのがなく、 一緒に行った友人が応援しているチームを応援します。 ただ、例えば、盗塁の場面では、敵味方に関係なく、 ランナーが成功しても、キャッチャーが阻止しても、 私は「おおおー!」となります(←気持ちがいいということです)。 また、球場全体に「おおおー!」という声が上がるのも楽しいです。 (^^)。 因みに、私自身が千葉の人ということもあり、 球場は、マリンスタジアムに一番多く出向いております。 これは、5月のレディースデイに行った時の試合後の写真です。 さすが、女性が多いですね~。 そして私は、ロッテの井口選手が今季で引退してしまうのが、 サビ
九州における豪雨の被害に遭われました皆様へ、 心より、お見舞い申し上げます。 本日は、私がしばらく考えておりました、 「竹」の生き方について、 述べさせていただこうと思います。 数か月前から、私の友人であり、 はてなでブログを開設されている方でもある、 Mayumiさん(id:mmm-thatsfine)との間で、 「竹」の話題が出ていました。 Mayumiさんは、 「竹というのは、およそ百年に一度花を咲かせて、 その一帯が全滅するそうですね 昔、そのことを題材にしたオリジナルのミュージカルを見て 印象に残っています」 とおっしゃっていました。 私は、そのような「竹」の生涯を初めて知り、 「およそ百年に一度花を咲かせて、その一帯が全滅する」 ということが気になりつつ…… 次の禅語を思い出しておりました。 「風過ぎて竹に声を留めず」 (かぜすぎて たけにこえを とどめず) これは、 「風が過
※本日の記事は、約4,700字になっております。 皆様に、許すお時間がありますときに、 お読みいただけたら幸いです。 また、本題に入る前に、 今、私が心配に思っていることを少しお話させてください。 世界のあちこちでテロ事件が起きている中、 今月15日に、徹夜国会、強行採決という形で、 改正組織犯罪処罰(テロ等準備罪・共謀罪)法案が 可決・成立したことは、皆様もご存知でいらっしゃると思います。 この法律によって、 表現の自由等が脅かされるのではないか、 警察等の恣意的な運用がなされるのではないか、 という懸念を多くの方が感じられているように、 私も感じております。 ただ、今後、この法律が施行・運用されるにあたり、 「一般人が対象になることはない」ということについて、 私としては、もう一つ懸念を感じます。 それは、 テロリストは実行するまで「一般人を装っている」だろう、 ということです。 つま
イギリスのマンチェスターや、 インドネシアのジャカルタなどで、 自爆テロ事件が相次いで発生し、 たくさんの犠牲者が出てしまったことは、 皆様もご存知でいらっしゃることと思います。 そこで、本日は、 自爆テロをなくすために考えてみたことを、 述べさせていただこうと思います。 私は、「自爆テロ」というと、 「自暴自棄」という言葉が浮かんで参ります。 しかし、自爆テロをするような人たちは、 最初から自暴自棄になっていたわけではなく、 自暴自棄になり切れず、なり切れないために、 そして、なり切るために、 そのようなこと(自爆テロ)をしてしまうのではないか、 と私は思っています。 自暴自棄になる過程として、 「辛い思い・辛い経験を重ねて、 もがいていたけれども誰も助けてくれなかった。 がんばっていたけれども報われなかった。 だから、自分の価値が感じられない…… 人も自分もどうでもいい。 この世に何一
先日、久々に、神戸に旅行に行きました。 私は千葉県に住んでおり、 東京駅から新幹線という交通手段もありましたが、 今回は、「飛行機に乗りたい!」という気持ちが芽生え、 羽田空港から神戸空港へというルートを選びました。 実は、神戸在住の方で、はてなでブログを開設されている、 Mayumiさん(id:mmm-thatsfine)と知り合い、 お友達になりました。 Mayumiさんは、 「MMM(エムエムエム)」というダンスの先生をなさっていて、 子どもたちに、ボランティアでMMMを教えている方でもあります。 ※MMMはマーガレット・モリスさんという方が創始者で、 正式には「(MMM=)マーガレット・モリス・ムーブメント」 というそうです。 子どもたちがキャーキャー言いながら楽しんでいる様子が、 私によ~く伝わって来た時から、 「私もMMM、やってみたいなぁ」 という気持ちが生まれていました。
先月(3月)から今月にかけて、 卒業式、入学式・入社式などがある春の訪れとともに、 「別れ」と「出会い」という言葉を 何度か見聞きいたしておりました。 また、私の前回の記事では、 「仏教」や『歎異抄(たんにしょう)』に対する、 皆様の温かいまなざしを感じ、 仏教が大好きな私としては、とても嬉しい気持ちになり、 ありがたく思っておりました。 このような思いがあいまって、 私は、『歎異抄』の中に出てくる言葉、 「つくべき縁」「離れるべき縁」が脳裏に浮かんでおりました。 そこで、今回の記事は、そのような縁に関することで、 私の思っていることを書かせていただきたいと思います。 親鸞聖人が、 「つくべき縁」「離れるべき縁」について語られたことを、 親鸞聖人の弟子・唯円(ゆいえん)が、 『歎異抄』の第六条に記しています。 (以下、『歎異抄』角川学芸出版を参考書として、 現代語訳等でご紹介させていただき
私は仏教徒ではありませんが、 仏教が大好きです。 仏教の教えの中で、 私が大変気に入っておりますのは、 「自灯明・法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう)」 という教えです。 「自灯明・法灯明」は、 「自分をよりどころとし、正しい教えをよりどころとすること」 という意味で、 私は、自分の生き方の基本的な考え方として、 取り入れさせていただいております。 ※「自灯明・法灯明」に関しましては、 以前、記事にさせていただいております。 皆様に許すお時間があり、お読みいただけたら幸いです。 morimariko.hatenablog.jp このほかにも、私は、仏教の教えの多くに共感し、 お導きをいただいてきたと思っております。 しかし、私には、 「仏教の教えのすべてに頷いているわけではない」 という本心があります。 また、私がこのような本心をもっていても、 仏教が、私から去って行ってしまったことはな
今日は、私が思っている「毎日」について、 述べさせていただこうと思います。 時間を大事に思っている方々にとって、 「毎日」は、やはり、大事な日々だと思います。 私も、大事に思っております。 その毎日の中で、 火事のような緊急事態が発生した場合などに、 そこで発揮される、 日常では到底考えられないもの凄い力のことを 「火事場のバカ力」というと思います。 夢中になって、一生懸命になった時に、 不思議な力がはたらくということもあると思いますが、 「火事場のバカ力」は、 その人が「もともと持っている力」なのである、 とも聞きます。 この「火事場のバカ力」を毎日発揮してしまうと、 人は、非常に短命になるようです。 ということは、 人のからだは、日頃から力を蓄えておき、 いざという時に「火事場のバカ力」を発揮する、 という具合にバランスをとりながら、 自分の命を長命にしよう、 としているのだと思います
もうすぐ日付が変わりますが、 今現在、12月25日です。 ということで、 皆様、「メリー☆クリスマス!!」です。 今年もあと数日となって、 時間が経つのが早い……やり残したことがある…… と思っている私は、とにかく、 自分の「要領の悪さ」をつくづく感じております。 また、以前から、 「特に」私が修正したいと思っているのは、 「柔軟性と行動力の乏しさ」です。 私の「要領の悪さ」「柔軟性の乏しさ」「行動力の乏しさ」は、 相互に関連し合っていると思いますので、 私の来年の目標は、 「要領の悪さ」「柔軟性の乏しさ」「行動力の乏しさ」 の修正をすること、にしました。 私の「要領の悪さ」は「時間の使い方が下手」 ということだと思っておりますが、 このような私の脳裏に浮かびましたのは、 「時間を自分の家来にしなさい」という、 ガユーナ・セアロさんという僧侶の言葉です (『私は私―ガユーナ・セアロの至道録
先日(11月24日)は、関東で、 積もるほどの雪が降りましたね。 11月の東京都に雪が降るのは、 54年ぶりのことだったそうですね。 私は千葉県に住んでおりますが、 やはり、バス・電車が遅延・運休し、 雪の影響を受けました。 そして、 いつどこで起こるかわからない地震も多い昨今。 そのような日々の中で、 私は、『菜根譚(さいこんたん)』という、 中国の古典に出てくるある言葉を 思い出していました。 [訳文]を先にご紹介させていただきます。 (『1分間でわかる「菜根譚」』P193より) わが身はひとつの天地である。喜怒も正当で、好き嫌いにも原則が通っているようにすれば、無理のないやわらなか道理で自身を貫ける。 [読み下し文]は次の通りです。 吾が身は一小天地なり。喜怒をして愆らず(あやまらず)、好悪をして則(のり)有らしめば、便ち(すなわち)是れ燮理(しょうり)の功夫(くふう)なり。 毎日に
今日は、「誠実な人」について、という題で、 記事を書かせていただこうと思います。 実は昨日、はてなさんから 「1年前のブログを振り返ってみませんか。」 という内容のメールが届いていました。 はてなさんは、1年以上ブログを続けていると、 時々このようなメールを送ってきてくださるのですよね。 ちょっと昔を振り返る、いいきっかけになりますね。 そして昨年の今頃、私は、 『海が大きい理由。』という記事を書いていました。 morimariko.hatenablog.jp この記事では、私は、 「『修証義(しゅしょうぎ)』というお経の、 「第四章 発願利生(ほつがんりしょう)」という章の中に、 海が大きい理由を、見つけました。」と書きました。 こちらにもう一度、『曹洞宗のお経』という本から、 『修証義』の「第四章 発願利生」の現代語訳の一部を、 載せさせていただきますと(P115,116)…… 同事と
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