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セオリーを知るということ - 瀬宮の球拾いブログ
チェスのことわざで、「序盤は教科書のように打て」というものがあります。 教科書とは「定石」のことで... チェスのことわざで、「序盤は教科書のように打て」というものがあります。 教科書とは「定石」のことです。要するにセオリーがあって、そこから外さないように打て、ということです。 では序盤で定石を外すとどうなるのでしょう? 例えばオセロの場合。 最初の10手で、定石から外れた場合ショボいスペックの3年前の家庭用ノートPCのAI相手でも負けます。 電王戦は高性能マシンが相手ですが、おんぼろPC相手でもオセロなら最初で定石を外せば負けます。 それくらい序盤で定石から外れることは致命的なことです。 定石とは、過去の積み重ねを頭の良い達人たちが要約した結果です。 スティーブジョブズのような教科書に載る側の超天才でもない限り、しかれたレールの上を走ったほうが効率的です。 苦労するのは中盤以降なので、セオリーにこだわらない打ち方をするのはそれ以降で良いでしょう。 富士山を登るにも、一合目から歩こうと車で半分