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天皇家の代替わりは、いきなり兄殺しによる地位簒奪から始まった - 読む・考える・書く
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天皇家の代替わりは、いきなり兄殺しによる地位簒奪から始まった - 読む・考える・書く
近畿天皇家の初代神武に続く2代目綏靖から9代目開化までの8代は、古事記・日本書紀に系譜が書かれて... 近畿天皇家の初代神武に続く2代目綏靖から9代目開化までの8代は、古事記・日本書紀に系譜が書かれているだけで事蹟(説話)を欠いているため、「欠史八代」と呼ばれている。 しかし、一つだけ例外がある。綏靖による兄殺しの物語である。 神武は、まだ九州にいた頃、妃として阿比良比売(アヒラヒメ)を娶っており、二人の息子を得ている。その長男が当芸志美美(タギシミミ 紀:手研耳)である。 古事記 神武記: かれ日向にましましし時に、阿多あたの小椅をばしの君が妹、名は阿比良比売あひらひめに娶ひて、生みませる子、多芸志美美たぎしみみの命、次に岐須美美きすみみの命、二柱ませり。 一方、綏靖(神沼河耳)の母は、神武が大和に侵入してから娶った三輪山付近の豪族の娘、伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)である。 かれその嬢子をとめ、「仕へまつらむ」とまをしき。ここにその伊須気余理比売の命の家は、狭井河の上にあり。天皇、その