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装丁を味わう
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家族持ちの身でありながら、2年ほど前におもむろに会社を辞めた僕ですが、本当に人生に山あり谷ありです。 ブログなどの執筆活動でようやく収入増への光が見え始めた矢先、いま思えば考えられないほど子供じみた軽率な振る舞いで、「背骨」を折ってしまいました…。 悪い展開が続くと、もうロクなことがありません。 卑屈な思考が悪循環を生み、これまで積み上げてきた「努力の結晶」も、砂山のようにさらさらと崩れていきます。 振り返ると、けがや病気は人に自慢できるほどたくさん経験してきました。 骨折や靱帯断絶はまだ軽い方で、サッカーボールごと蹴られて腎臓が傷ついたり、200万人に1人の割合で発症する奇病を患ったり、はしかに2度もかかったり――。 そんな僕でも、腰の骨まで折るとは想像だにできませんでした。 それも、脱サラした妻子持ちの立場で…。 細り続ける収入に反比例し、肥大化していく腹回りの脂肪も厄介です。 プーで
こんにちは。 管理人のプーです。 プーログは、20年勤めた会社をおもむろに辞めてしまい、現在独力で収入源の確保を目指す僕の歩みについて、リアルタイムでつづっているブログです。 一週間に一度ぐらいのペースで更新しています。 さて、まさかこの歳になって「脱サラの道」をチョイスするとは思いもしなかった僕ですが、人生には「少年時代」、「思春期」、「青年期」など、各段階ごとに経験・卒業しておくべき「レベル別のテーマ」というものが存在するように感じます。 友情 恋愛 冒険 etc 一部週刊少年ジャンプの編集方針に重なりますが、仮にしかるべき時期にこうしたテーマを経験、あるいは卒業できず、次のステージに持ち越してしまうとどうなるか。 下手すると、満たされぬ渇望を抱えたまま、生きていく羽目になります。 たとえば、恋の味を知らぬがゆえに「キャバクラ」などにハマってしまう人が、往々にして痛い目にあいがちなのは
無職の体験談をつづるサイトを見ていると、悲惨な状況を強調する内容ばかりが目立ちます。 正確な情報提供というより、何か別の意図が読み取れるものも少なくありません。 とはいえ、家庭持ちの場合、本当に惨めな思いをしている人が多いのも事実です。 ・家族に冷たくされた ・世間に後ろ指をさされた ・友人に馬鹿にされた ・再就職先が決まらず卑屈になっていった ・会社勤めのありがたさが身に染みてわかった ・自分に生きる価値がないと感じた こうして字にしてみると、身につまされる思いがします…。 ただ、「無職の者に生きる価値がない」というのは完全な誤りです。 無職を責め立てる人も、責め立てられて自分を見失う人も、単に近視眼的になっているだけです。 そんな自己嫌悪はまったくもって、不要です。 大丈夫です。 周囲も自分も、恐怖と古い常識に飲み込まれて「大切なもの」が見えなくなっているだけです。 社会の空気や複雑な
ここでは、昨年実際に仕事を辞めてしまった僕が、脱サラのリスクについて、リアルな「実情」「実感」をまとめています。脱無職への挑戦はいまも進行中です。 こんにちは。 プーです。 新たな人生への挑戦に焦がれながらも、サラリーマンを長年やっていると、脱サラは現実的な選択肢ではなくなるものです。 ところが僕は、40代妻子持ちの身でありながら、突然離職してしまいました。 それも、差し迫った事情があるわけではなく、何のあてもないままに、20年続けた仕事をおもむろに辞めてしまったのです。(詳細は連載参照) 愚かなのか、何なのか。 そんなことよりも、いきなり脱サラしてみて「よかったのか、悪かったのか」が、気になるところではないでしょうか。 僕はいまのところ「よかった」といえる口ですが、その選択が正しかったかどうかの判断は、結局死ぬまで分かりません。 人生は、プロセスだからです。 一時的な失敗にも、刹那の成功
仕事を辞めると、そこに待つのは「自由への開放感」と「新しい人生への不安」が渦巻く生々しい世界です。 そんな新天地に足を踏み入れたとき、特に注意が必要なのは、転職ではなく脱サラ・独立を目指す人。 勢いで会社を飛び出してしまった方にも言えることですが、必ず「新参者をエサにする飢えた狼」に狙われることになります。 収入源を探すプロセスの中で、ガラクタの眠る「宝の地図」を売りつけられたり、小麦でできた「不老長寿の妙薬」の販売ビジネスを持ち掛けられたり…。 今回、僕がこんな話を書こうと思った理由は何か。 それは、僕のところにもそんな馬鹿げた儲け話が舞い込んできたからです。 商材は、体内に溜まった放射能を除去する「キノコのお茶」でした。 さいわい、錯乱状態にない僕は「これでもか」というぐらい丁重にお断りしましたが、甘い儲け話に対する注意喚起の意味を込めて、その顛末(てんまつ)をまとめました。 弱る人を
僕には小学1年生の娘がいる。 僕は彼女に激アマだ。 いつもベタベタしていて、些細なことではまず叱らない。 もう可愛くて仕方がないのだ。 娘: 「宿題の計算カード、学校に忘れてきた」 僕: 「そっかそっか、次は気をつけようね。いいから一緒にうまい棒食べよ」 娘: 「字が汚いって、先生に叱られた」 僕: 「お父さんも汚いよ。頑張ろうね。それより宿題やったら100均行かない?」 いわゆる親バカである。 そんな僕でも、叱るときには怒鳴り声をあげ、心の芯まで響かせる。 娘:「秘密にしていたのを忘れてた。じいじに話しちゃった」 僕:「バカかお前は!ちょっと座れ」 普段とのギャップに彼女は強いショックを受けてしまうので、怒った後はまた米国産の駄菓子のように激アマなお父さんに戻る。 偏りのない目 特に「ごみをポイ捨てする」「食べ物を残す」「嘘をつく」などのしつけには容赦しない僕だが、集団生活にまつわる彼女
40代で家庭を持つサラリーマンの場合、大方の人が重視するのは、いわゆる「人並みの生活」ではないでしょうか。 そこは、僕も同感です。 特段、勝ち組にならずとも、それなにり食っていければよしとする。 ただ本当は、それだけでは良くないですよね。 一度きりの人生において、大切なものが欠けているはずです。 自分のポテンシャルに合致した「しっくりくる自分」に、もう一度会いたいのではありませんか。 そして、そこはかとない安らぎや、歌の中にあるような「魂の躍動」を渇望されているのではないでしょうか。 その手ごたえこそが、「自分という命」の実感だと僕は思います。 その感触は、人生における「ぜいたく品」ではなく「必需品」です。 まだ収入源が確立できていない状況だからこそ、いまのうちに胸を張って言っていっておきます。 今回は少し短いですが、そのあたりの理由についてまとめました。 自分の生まれた意義は「味気ない人
このブログは、妻子持ちの身でありながら20年勤めた会社を辞めて、自力で生き残りの道を探る僕の歩みを公開するものです。 こんにちは。 貯金の底が見えてきた管理人のプーです。 先日、古巣で仕えた上司に1年ぶりに会いました。 同期も後輩も、「~局長」という厳めしい肩書を与えられ、すごい勢いで出世しているそうです。 こちらは「レベル1」からの再出発となりますので、もはや尋常な差の開きではありません。 かつての親友はテレビのバラエティ番組にレギュラー出演していて、もう雲の上の存在になってしまいました。 バズーカVSこん棒 トレーラーVS一輪車 年収1千万超VS無収入 いざ字にしてみると、なかなか惨めなものです。 まあ自分が選んだ道ですので、仕方がないとは思いますが、現実問題、プーの状況はどんどん厳しくなっているのも確かです。 貯金は危険水域に突入し、天の恵みはいまだ降りてこず。 絶体絶命の状況を味わ
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