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羽田空港半世紀の歴史(発祥篇)
年譜その1 1800年頃 この地域で干拓が行われた。 1885年(明18) 穴守稲荷ができる。 1902年(明35) ... 年譜その1 1800年頃 この地域で干拓が行われた。 1885年(明18) 穴守稲荷ができる。 1902年(明35) 蒲田-穴守に電車が通じる。 行楽地として賑わう。 1917年(大6) 「日本飛行学校」がこの地に開校。 空港と神社の絵葉書がどう関係あるのか、不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、羽田空港の成り立ちについて語るとき、この絵葉書に描かれた「穴守稲荷」の話を外すわけにはいきません。なぜならば、現在の羽田空港の敷地の一部は、まさにこの神社の境内だったからです。 穴守稲荷は明治中期にでき、多くの人々の信仰を集めてきました。もっとも、花柳界や賭け事といった、いわば俗的な分野での御利益も支持されていたようで(ヒント:「穴」)、その参道も料亭や旅館で華やいだ雰囲気だったといいます。 穴守稲荷神社のホームページはこちら。(戦前の資料展示もあります) → http://an