エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
素読と解題
現在の学校教育は、プロイセン(旧ドイツ)の軍隊教育を礎としている。 これは広く世界的にも同様で、日本... 現在の学校教育は、プロイセン(旧ドイツ)の軍隊教育を礎としている。 これは広く世界的にも同様で、日本は明治維新以後、富国強兵のかけ声と共に導入した。 まあ、元々が軍隊教育だから、”知識”が画一的に成らざるを得ない。 では、江戸時代では、どのような教育をしてきたのか? 寺子屋で行われた教育の基本は、「素読」と「解題」だ。 「素読」とは、主に「論語」などの漢籍を”意味もわからず”読み上げること。 「解題」とは、読んだ書物について、自分の考えを発表したり、議論したりすること。 要は「知識」の「知」を「素読」でたたき込んで、「識」を「解題」で創っていく教育だった。 頭の中に個々の「知」を置いていき、その「知」と「知」を繋ぐシナプス(=「識」)を自分で創っていく。 その創り方の過程が、人それぞれなので、新しい発想やオリジナリティが生まれるのではないか? 現代の教育で問題なのは、この「識」の部分まで、