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おみそ汁
blog.goo.ne.jp/tuneari
NHKの土曜ドラマスペシャルで『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』が始まった。全五回。いま、二回まで放送されている。 近代史をテーマにしたドラマを見る時、内容と史実との違いを確認しながら観るのが案外楽しい。 別に「史実と違う!」と怒りたいのではない。ドラマでそれを云うのは無粋というものだろう。 ドキュメンタリードラマと称して史実と全く異なることをやるのは問題だと思うが、このドラマは冒頭に「このドラマは歴史に基づいて作られたフィクションです」と断りも入れている。 解説と感想と銘打っているが、「解説」というほど立派なものではなく、「突っ込み」と云った方が正確かもしれない。 映像作品を見る時は、突っ込みを入れながら観るのがなにより楽しいのである。 なお、私の浅い知識の範囲内での突っ込みのため間違い等があれば、さらなる突っ込みをお願いしたい。 ○吉田茂はなぜ拘留されていたのか? ドラマの冒頭
1979年2月、元・セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスが死去した。 そのひと月あまり前、日本にひとつのバンドが誕生していた。 そのバンドの名を“INU(イヌ)”という。 当時、十七歳の高校生だった町田町蔵をヴォーカルとして結成されたパンクバンドである。 INUは80年代J-PUNKのひとつの原点であった。 少なくとも私は80年代J-PUNKを象徴するバンドは?と問われればまづINUを挙げる。 INUをもってJ-PUNKの元祖だとみなす声もあるが、勿論それ以前にも日本にパンクバンドはいたし、同時代にも多くパンクバンドは存在する。 日本のパンクの淵源は70年代前半に求めることができる。 それは村八分、頭脳警察、外道といったバンドたちだ。 これらのバンドは当時パンクと名乗っていたわけではないが、十二分にパンク要素の強いバンドであった。 なにより、反体制であり過激だった。 思想の面でいうならば
---------------- タバコの害についてこのごろ威丈高に言うものが増えたのは不愉快である。 いまタバコの害を言うものは、以前言わなかったものである。 いま言う害は全部以前からあったものである。 それなら少しはそのころ言うがいい。 当時何も言わないで、いま声高にいうのは便乗である。 人は便乗に際して言うときは声を大にする。 ことは正義は自分にあって相手にはないと思うと威丈高になる。 これはタバコの害の如きでさえ一人では言えないものが、いかに多いかを物語るものである。 ---------------- 震災以来、雨後の竹の子のように原発の害を口にする輩が出始めた。 以前から反原発を訴えていた者をそれまで誰も注目しなかったのに、二流雑誌はこぞってそういう者を使うようになった。 上に掲げたのは稀代の名コラムニストだった山本夏彦さんの文章だが、文中の「タバコ」を「原発」に換えるとそっくり
アグネス・チャンが毎日新聞のインタビューに 「児童買春は、日本ユニセフ協会大使に就任した98年にタイで現実を見て以来ずっと関心があります。日本は加害者でした」 (毎日新聞 2009年10月14日東京朝刊)http://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20091014ddm004070096000c.html と答えている。 こういう言を聞くと、いかにも日本人が東南アジアで買春を行っているようにみえるが、冗談じゃない。 東南アジア、とりわけタイで児童を売春しているの多くは白人だ。 なぜ、「とりわけタイ」なのかというとこの国は他の東南アジア諸国に比べ極端に白人に弱い。 白人が犯罪を犯してもタイでは捕まらないことが多い。 児童買春もそう。 タイでは買った児童を白昼堂々と連れまわしてもお咎めなしで済む。 もし、同じことを他国、いわんや日本でやってみたら
オーストラリア人に祖先を訊くと決まって「ウチは1800年以降に入植した」と答えるという。 私の祖先は囚人ではありませんよという意味だ。 オーストラリアは元々イギリスの囚人たちの流刑地で、1801年以降は自由渡航が可能になった。 だが、移住してきた人たちは囚人よりもタチが悪かった。 彼らはオーストラリアの原住民アボリジニをあらゆる殺し方で殺戮した。 アボリジニの集落の飲み水に毒を入れたり、アメリカ人がインディアンにやったように撃ち殺したり、そして最もポピュラーな殺し方は崖から突き落とすというものだった。 アボリジニは同じく大陸に住んでいたコアラやカモノハシのように温厚で、インディアンと違い大きな抵抗をすることなく次々に殺されていった。 第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約を取り決めたパリ講和会議で日本は人種差別禁止案を提案したが、これに反対したのはアメリカ、イギリス、そしてオーストラリアだった
以前、ミャンマーについての記事を書いたが、そこではこの国の親日っぷりについて断片的にしか書けなかった。 そこで、今回はミャンマーが如何に親日的な国であるかについて述べたいと思う。 ××× かつて、ミャンマー大使を務めたこともある山口洋一氏はかねてより「世界に特筆すべき親日国が二つある。トルコとミャンマーだ」という話を聞いていたという。 氏は実際にミャンマーに赴任してそのことを肌を持って感じることになる。 まづ、大使館公邸に到着したとき、正門に配備されていた守衛の出迎えの挨拶が旧帝国陸軍式の敬礼だったことに驚く。 そして、夕方ともなれば国営テレビから軍艦マーチや海ゆかばが流れる。 前にも書いたが「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」「愛馬行進曲」「歩兵の本領」などはミャンマー国軍の軍歌として歌われている。 これらはビルマ語に歌詞を変えられ、多くの国民から愛唱されている。 また、街を行く車は圧倒的に日本
―田中君、ちかごろよく天皇から電話がかかってくるんだよ、さびしいって。 天皇はぼくよりちょっと年上だからね。江上、ちょっと話をしたいんだがと。そうすると宮内庁から車が迎えに来て行くんだよ。 ―はあ、どんな話をなさるんですか。 ―それは騎馬民族説でね。天皇家は馬に乗って朝鮮半島を通って日本にやってきた、って申し上げるんだ。すると天皇はとても興味をもってきいてくれるんだ。 以上は高島俊男さんの『お言葉ですが・・・』八巻で紹介されている田中克彦さんの「騎馬民族説と江上波夫の思い出」(『図書』2003年七月号)の一節だ。 ここでの天皇は昭和天皇を指す。 高島さんは「小生たまげた。雑誌の記事でこんなにびっくりしたのははじめてだ」と感想を述べている。 つまり、普通の人間とはまったくことなる方というイメージの昭和天皇が臣民にジーコジーコ電話をかけて「もしもし」なんてとても想像できない、と。 私もそう思う
先日、妹が私に「私には夢があるが、あなたには夢が無い」と言ってきた。 一体どういう料簡だろうと怪しんでいると「なんだ、事件のこと知らないのか」と残念がられた。 話によると、渋谷のとある家庭で兄が妹から「夢がない」と云われた事をきっかけに妹を殺す事件が起きたという。 私はようやく理解した。 この事件が起きた家庭は一族が全員歯科医という環境で、妹を殺害した兄は次男で某歯科大を目指して三浪中だった。 一方、長男は今年から歯科医になることが決まっていた。 殺された妹は芸能人を目指して芸能事務所に所属していたが、昨年末、事務所を辞めている。 妹はグラビアアイドルを目指していたが親から許可を得ておらず、そのことで家庭内に不和があったらしい。 事件直前も妹は友人に「家庭内で大きなトラブルがあった」と漏らしていた。 このトラブルとは次男とのトラブルではなくむしろ芸能界入りを反対する両親とのトラブルと見るの
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