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九条兼実は道長の子孫で鎌倉時代でもエリート貴族だが~平家や後白河や源氏に翻弄され
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九条兼実は道長の子孫で鎌倉時代でもエリート貴族だが~平家や後白河や源氏に翻弄され
幼くして【保元の乱】を見ると、程なくして平家が頂点に立ち、そして貴族は転落、代わって源頼朝が台頭... 幼くして【保元の乱】を見ると、程なくして平家が頂点に立ち、そして貴族は転落、代わって源頼朝が台頭する姿と直面することとなりました。 後白河法皇に振り回され、武士の姿を讃え、膨大な記録を残した九条兼実。 一体どんな生涯を過ごしたのか。振り返ってみましょう。 藤原摂関家に生まれる2024年大河ドラマは紫式部を主人公とした『光る君へ』が現在放送中です。 藤原道長が権力を握っていた藤原氏の最盛期が舞台であり、そこから七代も時代が降ると、満月に例えられた彼等の権力も落ち込んでいきます。 譲位した上皇や法皇も権力を握る「院政」の台頭により、 天皇か? 上皇か? という分権構造が出現すると、摂関家も引きずられて割れてしまい、宗教勢力や武士も権力を持ち始めるようになりました。 久安5年(1149年)――九条兼実は、そんな摂関家にヒビが入った時代に生まれました。 彼の父は藤原忠通です。 兼実はその六男であり