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おみそ汁
chutetsu.hateblo.jp
先日、マーベルシリーズ最新作の「シャン・チー」を観てきました。 シャンチー(象棋、中国の将棋)を嗜む私は、最初にタイトルを見たとき「完全なるチェックメイト」や「聖の青春」のようなボードゲームを題材にした映画かと勘違いしてしまいました。当然、マーベルシリーズにそんな地味な(失礼)作品があるわけもなく、本作は激しいアクションを詰め込んだスーパーヒーローものです。 本作はアジア、特に中国を舞台にしているのが特徴で、カンフーアクションや太極拳、マカオの街並み、鮮やかな神仙世界、柔らかな「気」の表現など、そこかしこに東洋を連想させる要素が込められています。また、全編の3割ぐらいは中国語で会話されています*1。 特に印象的なのが、最後の戦いの舞台となる仙界(といっていいのか分かりませんが、とにかく異世界的な場所)のシーンです。主人公たちは、普段は閉ざされているものの清明節にだけ入り口が開く母の故郷の村
8月15日、「カブール陥落」というニュースが世界を駆け巡りました。 私の手元にある杉山正明『ユーラシアの東西―中東・アフガニスタン・中国・ロシアそして日本』(日本経済新聞出版社、2010)のうち、氏の2009年の講演を記録した文章に、アフガニスタンについて語っている部分があります。私は全くの門外漢ですし、いつもは今日的な話題を取り上げることはない本ブログですが、杉山先生の語りに導かれて、一緒に学んでいこうと思います。 Googleマップから、非常に簡単な地図を作っておきました。青線がインダス川。上側の緑のマーカーがヒンドゥークシュ山脈。下の緑のマーカーがスレイマン山脈です。大雑把なものですので、細かくはみなさまご自身でご確認ください。 アフガン問題の元凶は国境線 わたくしは三年ぐらい前に予言していたのですけれども、アフガン問題は解決しませんよ。もともと誰が悪いかといえば、イギリスです。イギ
本ブログでは、これまでときおりWikipediaの執筆について触れてきました。 特にWikipedia執筆者の方々と交流する会に参加させていただき、自分なりに方針を立てられたのが大きく、これ以後時間を見つけて少しずつWikipediaを執筆しています。 すでに立てられている記事の修正が主ですが、新たな記事もいくつか立ててみました。一つが以下の記事です。 ja.wikipedia.org 当初は『孝経述議』というややマニアックな書籍一冊ならすぐに書き上げられるだろうから、練習によいだろうという軽い気持ちで書き始めたのですが、案外長めの記事になりました。 もう一つ、少しずつ加筆をしているのが以下のページです。こちらはこの先が難しく、また大幅に組み替える必要があるかもしれません。 ja.wikipedia.org では、これらの記事の執筆や、Wikipedia執筆者の方々との交流を通して気が付い
最近、それほどの頻度ではありませんが、Wikipediaを執筆しています。「Wikipediaなんて…」と思う方も多いかもしれませんが、私はそうは思いません。以下に考えを記しておきます。 検索サイトで専門用語を調べたとき、まず出てくるのはWikipediaです。無料で誰もが容易に読めるものですから、これが充実していれば、素晴らしいことこの上ないはずです。 「誰が書いたか分からない」ことが問題視されますが、きちんと出典が書いてあれば、Wikipediaの書き手が誰であったにしても、読者はその記述から容易に典拠を調べることができます。 「書いても誰かに消される」ことが問題視されますが、容易に前の版に戻すことができます。迷惑行為を繰り返す人はいつか運営にブロックされます。(そもそも、執筆者が少ない中国学の分野で、編集合戦が起こり得る項目は稀かと思います。) 中国学研究の良書を、中国学に興味のある
最近、衝撃的なニュースが飛び込んできました。かの『論語義疏』の古写本の一部が発見されたというのです。 www.keio.ac.jp www.asahi.com 以下のように、既にブログで解説している方もいます。 hirodaichutetu.hatenablog.com 一部上の記事と重なるところもあるのですが、本ブログでも、改めて「なぜ研究者が驚いているのか」「どのような価値があるのか」ということをお伝えしたいと思います。 以下、大きく二点に分けて、解説いたします。 1.『論語』の伝来という視点から 『論語』という書物は、おそらく皆さん聞いたことがあると思います。春秋時代を生きた孔子の発言や行いを、その弟子たちが整理して作った言行録で、中国のみならず漢字文化圏のあらゆる地域で重視されてきた本です。 ここで少し考えていただきたいのは、「人間の長い歴史の中で、本はどのようにして伝わってきたの
中国において伝統的に重視されてきた古典のグループに、「経書」と呼ばれるものがあります。経書は、「聖人」と呼ばれる理想的な人格を持つ人によって編集されたとされる書籍群です。これらは儒教において聖典とされ、中国に限らず、儒教文化を取り入れた古典の中心に位置し続けてきました。 「経書」のうち、最も基本的なものは「五経」と呼ばれています。以下の五つの本です。 ・『易』:陰陽と六十四の卦によって世界の成り立ちを示す書。 ・『書』:尭、舜、禹ら伝説の聖人の発言を集めた書。 ・『詩』:各地の民謡や民楽、祭祀の音楽を集めた書。 ・『礼』:礼の制度(冠婚葬祭、外交、官職)などを記した本。 ・『春秋』:孔子が編纂したとされる春秋時代の歴史書。 これを細かく分けると十三種類あり、「十三経」と呼ばれています。上にあげたもののうち、『礼』が三種類に分かれて、 ・『周礼』:周の官職の仕組みとその役割を解説した書。 ・
標点本というのは大変便利なものですが、句点が間違っていたり、字形を誤っていたり、脱字があったりするので注意が必要、というのは耳にたこができるぐらい言われているでしょうか。以前、字形と句点の誤りの具体例を示したことがあります。 今回は、「標点本の編集者が、余計な校勘を加えている例」を紹介しようと思います。句点や字の誤りはその箇所を正せば済む話ですが、必要のない校勘を加えるというのは背後に「校勘方針の誤り」が潜んでいる場合が多いので、その本全体にわたっての欠点となってしまう可能性があります。 そして、これは我々自身が普段文字起こしをする際にも気を付けるべきこと、ということになりますね。参考になる内容かと思いますので、取り上げておきます。 『新編汪中集』(国家清史編纂委員会・文献叢刊、廣陵書社、2005)の「明堂通釋」を題材に、校勘が加わっている五箇所を下に示しています。 ・故大戴記明堂篇「或以
一年ほど前の話になりますが、京都大学文学研究科中国哲学史研究室の発行する学術雑誌『中国思想史研究』が、京都大学学術情報リポジトリ「KURENAI」にてオンライン上で公開されました。(現時点では未公開の論文もかなり多いです。特に古いもの。) リポジトリ化された論文のダウンロードは以下から。 →Kyoto University Research Information Repository:『中國思想史研究』 バックナンバー一覧は、以下のページを見ると便利。 →『中国思想史研究』京都大学大学院文学研究科・文学部 折角なので、現時点で公開されているものの中から、比較的読みやすいものや、ガイドブック的役割のあるものを、独断と偏見で並べておきます。読んでみようと思っている方がいらっしゃいましたら、参考までに眺めてみて下さい。 日原利國「漢代思想はいかに研究されてきたか」(1985、7号) 末永高康「
とある方にリクエストを受けて、『春秋左氏伝』の訳書や概説書の手引きを作ってみることにしました。(この方の学識には及ぶべくもないのですが、何故私が…。)週一回更新を守りたいのですが常にネタ切れ気味ですので、何か良いネタがありましたら教えてください。 『春秋左氏伝』は歴史書ということで、その訳を求める初学者の多くは歴史物語的なものを想像するのかも知れません。が、手に取ってみれば分かるように、その記述は非常に簡潔なものになっており、翻訳だけを見てその背後にあるストーリーを読み取るのは至難の業です。また、基本的に年代順に書かれている(=”編年体”)ため、一連の事件があちこちに分断され、筋が追いにくくなっている場合もあります。 この点に配慮し、初学者向けに読みやすい訳を作ったものとして、松枝茂夫『左伝』(徳間書店、1973)があります。 これは抄訳で、なおかつ分断された事件を再構成し、系図や解題を逐
中国思想をもっと身近に 伝えることの難しさ 中国学の面白さを、一般の方々にどう伝えるのか? ―言い換えれば、中国学の魅力を如何に発信するか― これは長きに渡って、多くの研究者が苦悩してきた問題ではないでしょうか。これはもちろん、そんなことを考えずに、只管に自身の研究に打ち込んでゆく姿を否定するものではありません。むしろ研究者としては、そちらがまず第一に為すべきことであって、そのバックボーンを失っては元も子もありません。とはいえ、広く一般とまでは望まないにしても、せめて友人に面白さを伝えたい、というのはごく自然な感情ではないでしょうか。また、一つ付け加えるならば、我々の営みに世の中の誰もが見向きもせず、社会に不要なものであると認知された場合、その分野の研究者が「只管に自身の研究に打ち込む」ことなど殆ど不可能となるでしょう。であれば、色々な手段で魅力を発信してみたいと考えても、まあバチは当たら
日原利国氏が「碩学といわれるほどの大先生は、みな『論語』の訳注をされる、と聞かされ」*1たと述べる通り、『論語』の訳本は非常に多く存在します。一般向け・専門向けも入り混じっており、どうまとめるのが良いのか悩みどころ。全てを時代順に並べても、却ってまとまりを欠く結果に終わりそうです。 ①井波律子訳 まずは新しい『論語』の訳書を紹介します。 中国学を専門とする研究者の手による『論語』訳の新しいものとしては、井波律子『完訳論語』(岩波書店、2016)がまず挙げられるでしょう。井波氏は吉川幸次郎・高橋和己の両氏を師に持ち、特に『世説新語』や『三国志演義』の訳で知られています。 この『論語』訳は専門的な解説は最小限にとどめ、一般向けに平易な文体で書かれています。解釈は一つの注に則らず、穏当なものを取捨選択する形式です。初学者向けの良書と言えるでしょうが、字が大きい分少し分厚い本になっています。 さて
最近、「漫长的季节」という中国ドラマを観ています。 www.youtube.com 回想シーンと現在の時間軸を行き来しながら、サスペンスっぽい仕立ての群像劇という内容です。スリリングな展開と伏線の散りばめ方が面白く、いま5話あたりまで見ました。 4~5話あたりに出てくる中国語をいくつかメモしながら見たので、少しピックアップして載せておきます。ネットでざっと検索して出てきたことを書いているので、間違いがあったら教えてください。 别给自个脸上贴金了 「脸上贴金」は自分を飾り立ててよく見せること。 兴许它就能看明白了 「兴许」は「也许」「或许」の意。北方でよく使うらしい。 那我召之即来啊 「召之即来」は呼べばすぐ来ること、つまり言いつけに唯々諾々と従うこと。「召之即来,挥之即去」とも。 你这话是忽悠人 「忽悠」でほらを吹く、人を騙す。これも北方の方言らしい。 你也破不了案 「破案」で事件を解決す
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