紹興11年(1141年)に南宋(1127年~1279年)の武人の岳飛(がくひ)は金(1115年~1234年)との和議で対立していた宰相の秦檜(しんかい)の手により殺されました。岳飛は金との抗戦を主張していたことから、後世の人から愛国の武人として有名です。 一方、秦檜は岳飛の死の翌年に金との間に屈辱的な和議を結んだことにより、後世の人から売国奴の烙印を押されました。今回は対照的な2人の死後の評価と岳飛の墓の前にある〝鉄像〟について解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパ