1980年代後半には「東の羽生善治、西の村山聖」と、両者は若手精鋭として並び称されていた。1998年8月8日、その村山は目標にした名人を獲得する前に29歳で早世した。谷川浩司や羽生との激闘、阪神淡路大震災で受けたショック、東京の棋士たちとの交友、結婚への夢、A級へ復帰昇級後に再発したガン、今わの際につぶやいた棋譜、没後に刊行された評伝とその映画化など、「消えた天才」の村山聖八段(追贈九段)の壮烈な人生について、公式戦で村山と対局したことがある田丸昇九段が後編で振り返る。※敬称略。棋士の肩書は当時(全3回の第3回/第1回、第2回も配信中) 村山の指摘どおり、私が勝ち筋になった一局 1986年(昭和61)7月下旬、私こと田丸七段は王座戦の準決勝で桐山清澄棋聖と大阪・福島の関西将棋会館で対戦した。当時の私は36歳の指し盛りで、B級1組順位戦ではA級への昇級争いに入っていた。 その一戦は192手に