エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
左遷されても諦めないで|左遷先で歴史に名を残した司馬光に学ぶ(後) – 心がおだやかになる読み物
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
左遷されても諦めないで|左遷先で歴史に名を残した司馬光に学ぶ(後) – 心がおだやかになる読み物
こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。 前回の記事では司馬光が左遷させられたエピソー... こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。 前回の記事では司馬光が左遷させられたエピソードを紹介しました。 首都の開封(かいほう)から副都の洛陽(らくよう)に左遷された司馬光の元に『資治通鑑』(しじつがん)の編纂書局が閉鎖の危機にあるとの報が届きます。 これが司馬光の人生の転換点でした。 53歳にして地方に左遷された司馬光はどのようにして中央に復帰したのでしょうか。 資治通鑑の編纂『資治通鑑』(しじつがん)とは当時の皇帝・神宗の一代前の英宗の時代から司馬光が中心となって編纂を進めていた、過去の中国の歴史を総まとめにした書物の名前です。 「政治上の参考にするもの」という意味の「治に資し通じて鑑みる」から名前を取られており、昔から帝王学の教科書として読まれてきた大部な書物です。 司馬光が開封から去った後は残された人たちで編纂をしていましたが、新法派と旧法派の対立の影響で閉鎖となりかけ