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5・15事件の計画は筒抜けだった
昭和初期の日本で軍国主義へと走るきっかけになったと言われている5・15事件ですが、この事件には、いま... 昭和初期の日本で軍国主義へと走るきっかけになったと言われている5・15事件ですが、この事件には、いまなお不明な点があります。 事件の前には、このクーデタ計画がかなり漏れていたような形跡があるのですが、なぜか犬養首相の耳には入らず、官邸の警備もそれほど厳戒ではありませんでした。 当時の青年将校であった山口一太郎陸軍大尉も、戦後になって「5・15事件は計画の大要が各方面に漏れていた」と述べています。 つまり、憲兵隊も陸軍省も警視庁もある程度知っていたはずだというのでした。 今回は、この5・15事件についてご案内します。 犬養は岡山生まれの政党政治家で新聞記者を経て、立憲改進党の創設にかかわりました。 明治23年(1890年)の第1回総選挙から18回連続で当選を果たし、文部大臣や逓信大臣を務めたあと、昭和6年に首相に就任しました。 ★5・15事件当日の状況 昭和7年(1932年)5月15日、78