この手紙を書いた動機のもう一つに幼い日に知った西遊記という物語があった。それは現在の中国が唐と呼ばれていた時代に実在した僧の取経の旅をモチーフとした作品である。 妖怪変化が行く手を阻み、難所の続く里程を西へ西へと行き続ける彼らの目的はよく分からなかったが意味のあるものに思えた。実在の彼は、その見識により宗教上の議論において無敗であったばかりでなく、議論相手は一様に彼に深い敬意を表したと言う。それは彼の知識には人格が伴っていたという証なのだろう。 肖像画として残された彼の姿は、背に経典を背負いこみ、その風貌は僧というよりも、冒険者である。まるで道の続く果てまでも真理を求めるという気力が充溢している。 世の戦乱をことごとく鎮め天下万民を安穏に導く。そのような経典は実在するのだろうか。思うに、真の智慧とは覚悟なき者には見つけられない意志なのではないか。逆説的に言うなら、田舎の図書館にでも世を平和