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聖書眼鏡で見る「教会と国家」 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
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2010年KGK夏季学校(MBC)での講義に加筆 <アウトライン> 序 愛国心の歴史的始まり 第一章 パウロに... 2010年KGK夏季学校(MBC)での講義に加筆 <アウトライン> 序 愛国心の歴史的始まり 第一章 パウロに見る国家の権威と限界 1 パウロは国家の権威の意義を認め、ローマ市民権を活用して、ローマ宣教に行った。(使徒22:25−29、25:11,12) 2 国家の権威と限界(ローマ13:1−7) (1)神が摂理によって国家の権威を立てている (2)国家の務め:警察権による社会秩序維持と徴税による分配 第二章 政教癒着と神のさばき 1 ヤロブアム王の不安と国家神道(1列王記12:25−33) 2 ウジヤ王の傲慢と祭祀権の侵害(2歴代26章) 3 帝王ネブカデネザルの野望と金の像(ダニエル3:1−7) 4 獣の背後でうごめく者(黙示録13章) 5 我が国の戦前・戦時中の宗教政策・・・戦時下のCS教案 第三章 キリスト者として国法を超えても死守すべきこと 1 ダニエル:真の神のみを礼拝する 偶