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昭和三陸津波:32の復興記念館 1カ所だけに…宮城 - 毎日jp(毎日新聞)
昭和三陸津波(1933年)を教訓にしようと宮城県が沿岸32カ所に戦前設けた復興記念館が、老朽化に... 昭和三陸津波(1933年)を教訓にしようと宮城県が沿岸32カ所に戦前設けた復興記念館が、老朽化に伴う取り壊しや東日本大震災の津波による流失で、気仙沼市唐桑町の宿(しゅく)集会所しか残っていない。記念館の現況を調べた白幡勝美市教育長(66)は「震災の風化の早さを物語っている」と危惧し、住民は大震災の被害を次世代に伝える資料館の必要性を訴えている。 唯一残った宿集会所は36年建築の木造平屋(267平方メートル)。補修工事を重ね、壁やトイレなどの老朽化が著しい。敷地は隣の寺院から借りており、いつまで維持ができるか不安視する声もある。 昭和三陸津波は宮城、岩手両県の沿岸部で3000人以上の死者・行方不明者が出た。宮城県は35年ごろから▽地震や津波の資料を展示▽平時は講演会の場▽災害時には避難所--と三つの役目を兼ねる施設を目指し、復興記念館を沿岸各地の高台に建設した。 だが、戦争を挟み時と共に、記
2012/02/20 リンク