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【100年前のスペイン風邪】海を渡った「悪魔」 離島の医療崩壊「空しく死待つだけ」 得体知れず、飛び交う流言 | 鹿児島のニュース | 南日本新聞
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【100年前のスペイン風邪】海を渡った「悪魔」 離島の医療崩壊「空しく死待つだけ」 得体知れず、飛び交う流言 | 鹿児島のニュース | 南日本新聞
〈忘れられた厄災・スペイン風邪 鹿児島の新聞から ②〉 1918(大正7)年12月に入り、県本土で... 〈忘れられた厄災・スペイン風邪 鹿児島の新聞から ②〉 1918(大正7)年12月に入り、県本土で収束しつつあった「流行性感冒」は海を渡り、南の島々にも到達していた。大島警察署からの要請で奄美大島に渡った医師は12月6日、いよいよ大和村の現地に入ることになった。そして、驚くような光景を目にする。 老医師がタッタ1名いるのですがこの御医者さんも7、8日前から流感に罹(かか)って、当時までの約一週日の内というものは全く医師が無く、罹病(りびょう)者はいずれも床上に呻吟(しんぎん)して空しく死を待つという悲惨な状態であったのです (12月20日、鹿児島新聞) 医師は役場に臨時の診察室をつくり、午前8時から午後10時まで毎日診察した。300人の患者のうち2人が死亡した。住用村では住民5300人のうち1700人が感染していた。ここも無医村で、名瀬から警察医が派遣された。 このような実態は県内どこでも