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南スーダン内紛の和平の見通し --- 長谷川 良
南スーダンは2011年7月、イスラム教主導のスーダン(北部)から独立したが、昨年7月解任されたマ... 南スーダンは2011年7月、イスラム教主導のスーダン(北部)から独立したが、昨年7月解任されたマシャール前副大統領が同年12月14日、軍クーデターを行い、内紛が勃発し、多数の犠牲者、避難民が出ている。同紛争を調停するためエチオピアの首都アディスアベバで4日から和平交渉が開かれているが、戦闘は依然続いている。なお、日本は12年1月から国連南スーダン・ミッション(UNMISS)に要員を派遣している。 ▲インタビューに応えるシャリフ記者(2014年1月4日、ウィーンで撮影 ) そこでスーダン出身のHORNA(ホルン・アフリカ通信社)のアブダラ・シャリフ国連記者に南スーダンの内紛の背景、和平の見通しなどについて聞いた。 ──まず、南スーダンの内戦の主因は何だったのか 「スーダン人民解放軍/運動(SPLA/M)は1983年、ジョン・ガラン大佐を中心にディンカ、ヌエル、シュルクの3部族から創設された。