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欧州の首都はどこか:神聖ローマ帝国からEUまで
ヨーロッパの首都というのは、どこを指すのがふさわしいのか。もちろん、「みやこ」というならパリかも... ヨーロッパの首都というのは、どこを指すのがふさわしいのか。もちろん、「みやこ」というならパリかもしれないが、「首都」とはいえない。 やはり首都というと、中世の神聖ローマ帝国か現代のEUのそれではないか。今回出版した『世界史が面白くなる首都誕生の謎 』(知恵の森文庫)では、そのあたりについても詳しく論じたので、それを短く要約して紹介しておく。 ◇ 西ローマ帝国滅亡(467年)のあと西ヨーロッパを統一したのはメロビング朝フランク王国のクロービス王で、カロリング朝のカール大帝(シャルルマーニュ)は、800年にローマ教皇から西方の皇帝として戴冠された。 この帝国はやがて三分割されたが、東フランク王が中フランク王国のほとんども勢力下に置いて神聖ローマ帝国(サクラム・ロマニウム・インペリウム)の皇帝を名乗った。 しかし、封建諸侯の連合体で、世襲でなく皇帝は選挙で選ばれていたので、この帝国の首都がどこで