エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
『オタクカルチャーの良さは妄想?妄想の芸術性について「東方」をベースに語る。』
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『オタクカルチャーの良さは妄想?妄想の芸術性について「東方」をベースに語る。』
こんばんは。 今日は前々から考えていた、妄想の芸術性とオタカルの強さといわれている妄想について語っ... こんばんは。 今日は前々から考えていた、妄想の芸術性とオタカルの強さといわれている妄想について語っちゃったいと思います。 まず最初に、オタクカルチャーとはマンガやゲーム、アニメといったもので特に萌えや腐的なものを指します。 そしてそれらと「妄想」がよく結び付けられてる点について、どういう風に関係しているものかを私なりに考えたことをまとめたいと思います。 この前説二回目ですね。相変わらずまとめてから話す事が出来ないので話が前後してしまいますがご了承ください。 では、妄想の芸術性から最初に分解していきましょうか。 妄想というと下品なイメージがありますね。 しかし、妄想は昔から芸術の手段として使われていました。 例えば「ミロのヴィーナス」なんかがそうです。 あの石造は見ての通り腕がありません。 腕がないことが何を意味するか? あの石造を見た人間はどう思うか? 無い腕は私たちの頭の中で自由に描かれ