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『天満切子と大阪硝子の歴史』
先日 大阪で唯一“天満切子”を継承する宇良武一先生の元へお邪魔してきました(わさびやブログ 参照) 薩... 先日 大阪で唯一“天満切子”を継承する宇良武一先生の元へお邪魔してきました(わさびやブログ 参照) 薩摩切子や江戸切子は皆様もご周知だと存じますが “天満切子”の存在は以外に知られていません 天満切子が誕生した背景には僅か20年弱で姿を消した薩摩切子 その技術を伝承し また当時日本最大の硝子生産地でもあった大坂/天満の背景が色濃く反映されています 宇良先生から伺った話とあわせ 天満切子-大阪硝子の歴史を簡素ではありますがなぞってみようと思います 大坂硝子発祥ノ地 宝暦年間(1751年) 長崎商人/播磨屋清兵衛 が天満天神鳥居前に工場(玉屋)を設け 市井に販売したのが大坂硝子産業の始まりです 以降、我が国のガラス製品販売の中枢地として隆盛を極め 第2次大戦前には 大阪における輸出第一位を占める重要輸出産業として飛躍しました 戦前/東京の硝子職人達は 大坂で修行しなければ一人前の職人ではないと