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『原爆文学論(黒古一夫)、を読む(あえて批判する)』
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『原爆文学論(黒古一夫)、を読む(あえて批判する)』
原爆文学論(黒古一夫)、を読む(あえて批判する) | そのたびごとにただ一つ、世界のはじまり~瀧本往... 原爆文学論(黒古一夫)、を読む(あえて批判する) | そのたびごとにただ一つ、世界のはじまり~瀧本往人のブログ 読んだ本 原爆文学論 黒古一夫 彩流社 1993年7月 ひとこと感想 本の題名は「原爆文学論」であるが、1993年の時点で、「原爆文学」から、「核文学」への視点の移動を行いはじめていることがわかる。主に、大江健三郎、井上光晴、小田実、井伏鱒二、林京子、中沢啓治の作品を中心に論じられている。また、吉本隆明に対してかなり否定的である。私は、内容はさておき批判の仕方がどうも生理的に受け付けない。 *** 著者(KUROKO Kazuo, 1945- )は、長年にわたって「原爆文学」を主題に研究を続けてきている。 本書は、雑誌などに書いた論考を一冊にしたもので、以下のような章だてになっている。 ・核状況を撃つ想像力――原爆文学の位置 ・〈原爆文学〉から〈核文学〉へ――『西海原子力発電所