エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
一体どっちが本来のありかたなのでしょうか? 社会契約が存在しない状態に..
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
一体どっちが本来のありかたなのでしょうか? 社会契約が存在しない状態に..
一体どっちが本来のありかたなのでしょうか? 社会契約が存在しない状態においては、前者。 というか、... 一体どっちが本来のありかたなのでしょうか? 社会契約が存在しない状態においては、前者。 というか、そもそも「罪」と言う概念がない。 そこに社会契約が発展、「所有物」や「権利」という考え方が発生する。 その時点で、他者の「所有物」や「権利」を犯した場合、「罪」になるという考えに至る。 生まれた時から社会契約に縛られる現代日本においては、教育によって「罪」という概念が教えられるはず。…なんだが。 まぁ、現在の教育がどのようになってしまっているかは察しの通りなわけで。 「罪」と言う概念が希薄な輩が大量に存在していると。 そういった人間は、 罪は重くも本人の心身はいたって健康。 である訳だ。 一方、親のしつけや教育の甲斐もあって、きちんと「罪」という概念を持った人間は、 罪は軽くも本人の心身はズタボロ。 となる。 社会的にとっては前者であればあるほど悪、後者であればあるほど許容できるといったところ