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贈る言葉
anthroish.hatenablog.com
自分が発達障害だと気づいた後のこの世界では、とても素晴らしいことがたくさん起きました。 「ラベルを得て安心した」というのはよくある話で、そういう段階は自分にもあった。でも本当に素晴らしいことはそこからもっと先に進んだ場所にあって、それは以前には想像すらできなかったようなことです。 三つのことについて書こうと思います。が、それら全てを敢えて一言で纏めるなら、「自分について理解が深まったことで、自分の能力と感覚が研ぎ澄まされた」ということのはずです。とはいえこの抽象的な要約だけでは、それがどれほど素晴らしいことなのかが伝わりません。その素晴らしさは、具体性の中に宿っています。 自分の「眼」への信頼 一つ目は、自分の「眼」には特別な何かが宿っていると知って、眼を頼りにして生きるようになったこと。特別な力が宿った眼を頼りにする生活は、豊かです。 無意識だった眼の力 眼を通って入ってくる情報を、僕は
思考方法の違いを内側から考える 前回の投稿で、発達障害の人は「違う論理空間に住んでる」ということに触れました。これは具体的には、思考するときに「言語ではなくて画像で考える」ということやと思います。実際、これを示している脳科学の研究成果もあるわけです。たとえば、 これは学術論文ですが、日本語で書かれた本でもよく説明されてます。たとえば、村上靖彦「自閉症の現象学」。他にはテンプル・グランディンが、この説を繰り返し強調していて有名です。 でも「画像で考える」「視覚的に考える」っていうのが、本人の頭の中ではどういう体感なのか、大抵の人には想像ができないのかもしれません。なので少しでも伝わってほしいと思い、Google AutoDrawとパワポを動かして、ちょっと説明を作ってみました。 村上春樹のアンデルセン文学賞スピーチを題材にデモしてみる 「思考方法」を説明するのって、非常に難しいです。自分一人
発達障害の人が内面的な体感としてどう感じているのか、生きることについてどういう苦労を持っているのかについて、本人の目から見えるままに言語化した情報というのは少ない。外から見た説明は多いし、それも間違っているわけではないけれども、本人の感覚とは何かズレがある。すこしでも理解が広がるように、自分から見えてる世界を頑張って言語化してみたい。 ぐちゃぐちゃで苦痛を伴う「得意・不得意」 発達障害の特徴の一つに、脳機能の得意と不得意の差が激しいと言うのがある。これは表面的には、計算が大の苦手やのに道順を覚えるのはめちゃ得意、みたいな風に現れるから、その程度の問題(問題ですらない)と誤解されやすい。 実際には、本人の体感としてはもっとぐちゃぐちゃで苦痛を伴う特徴である。 「計算」というプロセスは、多数のミクロな作業から成る 計算とか道順記憶というのは、いろんな能力を総合して行われるかなり高次の作業やと言
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