エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
『ロケットマン』と考える、誰からも愛されない自分を受容する難しさ - 月光とオランピア
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『ロケットマン』と考える、誰からも愛されない自分を受容する難しさ - 月光とオランピア
『ロケットマン』がAmazonプライムに入ったと聞いて、改めてもう一度観てみたらやっぱり好きな映画だな... 『ロケットマン』がAmazonプライムに入ったと聞いて、改めてもう一度観てみたらやっぱり好きな映画だなあと思ったので、公開当時何度も映画館に通っていたときに途中まで書いていた(そして力尽きた)下書きを書き上げてみることにしました。 === 『ロケットマン』を初めて観たとき、しまったこれ友達と観るんじゃなかった、と思った。どんな感想も陳腐になると思って、帰り道うまく喋れなかった。思ったことも感じたこともたくさんあったけど、口にした瞬間から全部映画を矮小化してしまう気がしてこわかった。これが「表現」なんだな~と思った。言語以外の方法で、人の心を動かすってこういうことなんだなあと。 『ロケットマン』本予告 華やかなミュージカル映画なのに、観ている間私はずっとつらかった。同じ監督が類似のテーマで描いた『ボヘミアン・ラプソディ』と、似てるとこもたくさんあったと感じたけど、それよりはるかにつらかった。