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神聖かまってちゃんを聞いて、ロックンロールの「真」と「新」について考えました。けれどそれは、考え... 神聖かまってちゃんを聞いて、ロックンロールの「真」と「新」について考えました。けれどそれは、考えた結果「答え」を得たという意味ではありません。何か得体の知れない、しかし避けては通れない「問い」を突き付けられてしまったという意味です。 ====== 1.「ロックンロール」という問い 神聖かまってちゃんの存在が、共感や驚嘆と同時に困惑にも似たひっかかりを残すのは、その表現が「ロックンロールとは何か」という問いを喚起しているからだろう。その問い自体は新しいものではないのかもしれない。けれど、神聖かまってちゃんの登場によって、その問いは「再発見」されてしまったようにみえる。その問いを「解決済」あるいは「不問」とみなしてロックンロールに安住することへの告発のように。 「ロックンロールとは何か」。ロックンロールの「当たり前」を疑うことの不安と、ロックンロールの「当たり前」が覆されることの快感。人は不安