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1988ソウル五輪の侍たち - 侍ジャパンと、ユニフォームと
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1988ソウル五輪の侍たち - 侍ジャパンと、ユニフォームと
前回につづき、1988年ソウルオリンピックも野球は公開競技であった。 参加国は8ヶ国。 予選リーグA組に... 前回につづき、1988年ソウルオリンピックも野球は公開競技であった。 参加国は8ヶ国。 予選リーグA組にアメリカ、韓国、オーストラリア、カナダ。 B組に日本、プエルトリコ、オランダ、台湾である。 注目はアメリカ代表の隻腕のエース、ジム・アボット。「アボット・スイッチ」と呼ばれた投球後のグラブさばきに、94マイルのストレート、カーブ、チェンジアップ、スライダーという本格左腕であった。 日本代表はなかなかのメンバーである。特に投手陣は、90年代前半のパリーグ(ほとんど西武ライオンズだが)を代表するような顔ぶれである。 この代表チームにおいてはエース格は渡辺智男だったが、直前の世界選手権でヒジを痛め、ソウル五輪では石井丈裕が先発の軸となった。野茂、潮崎はチームでは若手だった。それでも野茂・古田のバッテリーには胸が踊るというものだ。 代表チームは8月にイタリアで開催された世界選手権でキューバ、アメ