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過去よりも未来よりも今が大事 - 伊勢ー白山 道
「神に何を見せるのか?」(2010-08-26) 今朝は、釈尊(しゃくそん)のことを思い出していま... 「神に何を見せるのか?」(2010-08-26) 今朝は、釈尊(しゃくそん)のことを思い出していました。釈尊は、神については語らなかった。それが誤解されて、神などいないと釈尊が言っているかのような解釈もあります。 釈尊の本意は、ぜんぜん違うのです。 そもそも、人間も動物も=神の一面、であるから、「神」と分離させて認識する必要が無いと言う意味でした。 わかり易く言えば、自分の体の一部(指や足や手など)だけを、自分から分離した別存在のように語るのは可笑しいと言うことだったのです。 病気で寝ている人は、神が病気を体験しています。 仕事で悩んでいる人は、神もそれを体験しています。 隣人と争う人は、神にも争いを体験させています。 なんとまあ私たちという神様は、心にいる創造神に好き勝手な色々な体験をさせているのです。 逆に言えば、どんな悪い人物でも「生きている限り」は、その人に神様が宿っています。そし