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全昌寺には豊臣秀吉の朱印状があります! - 実高ふれ愛隊日記
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全昌寺には豊臣秀吉の朱印状があります! - 実高ふれ愛隊日記
実高ふれ愛隊で~す(^^)/ 全昌寺には、歴史的にも貴重な「太閤秀吉朱印状」が展示・公開されています。 ... 実高ふれ愛隊で~す(^^)/ 全昌寺には、歴史的にも貴重な「太閤秀吉朱印状」が展示・公開されています。 「大政所殿御煩之由候之間 爰許御留守之儀 江戸大納言 加賀宰相へ 能能(よくよく)被仰付 被即成御上洛之間 此由大政所殿へ被相達待可被申候 恐々謹言 七月廿一日 秀吉(朱印) 関白殿」 この書状は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の根拠地であった肥前名護屋にいた時、大政所(母)が病気になった のを聞き、甥の関白・秀次に宛てたものです。 この書状の発信は1592(文禄元)年7月21日となっています。秀吉は余命わずかになった大政所(母)に 会いたくて京都に戻ったことが分かります。そして上京するにあたり、留守中のことを江戸大納言(徳川家康)、 加賀宰相(前田利家)に頼んでいることも書状から分かります。 でも、79歳の大政所(母)は翌7月22日に聚楽第で亡くなったそうです。 秀吉は長浜城主になった時に大政所