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無益な殺生 - 仏教ってどうよ?
無益な殺生はいけません!・・・と、よくこんなことを言われます。 確かに、「一寸の虫にも五分の魂です... 無益な殺生はいけません!・・・と、よくこんなことを言われます。 確かに、「一寸の虫にも五分の魂です」。好いことでは無いでしょう。 しかし、どこまでが「無益」なのでしょうか?これについて考えてみます。 殺生を罪とする考えは結構一般的です。しかし、生まれて死ぬまでの間、一度の殺生も行わないですごすことは出来ません。 人は自らの血肉のために他の生物を殺め、また自らの安全のために他の生物を殺めるのです。これはどうしようもないことで、それがたとえ”罪”であるとしても避けることは出来ません。 つまり、「人は生まれることが罪」になってしまいます。どのような聖人でも、この罪は付いて回ります。そしてその罪から逃れるためには、死を選ぶしかありません。 これでは意味が分からないので、”殺生=罪”の考えはやめましょう。屠殺(とさつ)のシーンを見ても、かわいそうとか思うのをやめましょう。 そのかわり、「そのものたち