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失われた20年-ソフト業界は変わったのか? その12:1995年ごろ(5) - ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき
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失われた20年-ソフト業界は変わったのか? その12:1995年ごろ(5) - ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき
ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピュ... ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も) 20年位前、1980年代終わりごろから、最近まで、ソフト業界とかその周辺の変遷について、特にソフト開発の立場を中心に見て行く、土日シリーズ「失われた20年-ソフト業界は変わったのか?」その第12回目。 今、1995~99年までについてです。今回は、そのころの開発方法論、その2 構造化分析やDFDについてです。 ■情報関連図からDFDに 1980年代から、90年代のはじめころまで、COBOLベースの開発のころは、要求仕様レベルで、機能を書くとき、情報関連図(FIO図っていうのと同じかな?)で書いてました。機能があって、入力、出力を書くものです。 で、これをもっと、機能とデータをはっきり分け、他人でも検証可能な形にしたDFD(データフローダイアグラム)が盛んにつかわれるようになります