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ジッド「地の糧」 現代が失った感覚を取り戻す|好書好日
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ジッド「地の糧」 現代が失った感覚を取り戻す|好書好日
フランス近代文学を代表する作家ジッドが1897年に発表した本作は、筆者のような文学研究者には耳の... フランス近代文学を代表する作家ジッドが1897年に発表した本作は、筆者のような文学研究者には耳の痛い書である。読書を愛し、本に囲まれて暮らすことが至福と思うような者なら、「眼(め)を書物のよごれから洗い清め」るため、「なべての書物を、いつの日に焼きつくそうぞ!!」という主張を前に苦笑せざるを得ないだろう。 実際、この詩的エッセーは、本を読んで観念ばかりを増幅させてしまうことへのアンチテーゼなのだ(観念=ideaとは言わば頭のなかで思い浮かべるイメージである)。だから、本書をめぐって、観念的な世界からの訣別(けつべつ)が読み取れるジッドの作品『パリュード』(1895年)を参照したり、ここ最近『ペスト』で注目されているカミュが本作を読んでいることから彼との関係を探ったり、はたまた日本の文脈で言えば、『パリュード』を訳した小林秀雄から『書を捨てよ、町へ出よう』の寺山修司までのジッド受容を辿(たど