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アジアには愛が溢れていると岡倉天心は云ったけれど…… 『音楽放浪記 日本之巻』より|じんぶん堂
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アジアには愛が溢れていると岡倉天心は云ったけれど…… 『音楽放浪記 日本之巻』より|じんぶん堂
記事:筑摩書房 original image: Nikolay N. Antonov / stock.adobe.com 書籍情報はこちら 日本的現代音... 記事:筑摩書房 original image: Nikolay N. Antonov / stock.adobe.com 書籍情報はこちら 日本的現代音楽とはズルズルベッタリである 「音響が執拗なまでに糊塗された単一方向的な西村作品」「余白なく塗り込まれた極彩色絵巻のような西村作品」──どちらも、『レコード芸術』2007年12月号に載った、西村朗の新しいディスクへの長木誠司氏の批評から。そこで指摘されているのは、まず響きが度外れて厚いということ。それからもうひとつ、一定の音のイメージがベッタリと引きのばされる音楽だということだろう。 そのとおりだと思う。しかし、似たような音が続くというほうの話は、なにも西村にかぎったことではなさそうだ。厚いか薄いか。力まかせか思わせぶりか。そういった差はあるにせよ、武満徹も細川俊夫も石井眞木も佐藤聰明も、バターナイフでレバーペーストをのばすような、もしくは