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JASRACの本部はなぜ代々木上原にあるのか / 辻田真佐憲|文藝春秋digital
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★前回の記事はこちら。 ※本連載は第6回です。最初から読む方はこちら。 戦前のレコード産業は随分と儲か... ★前回の記事はこちら。 ※本連載は第6回です。最初から読む方はこちら。 戦前のレコード産業は随分と儲かったんだな。代々木上原の古賀政男音楽博物館を訪ねると、そんな思いにとらわれる。 地上3階、地下1階の同館は、220席のホールを備えるだけではなく、隣にJASRACの本部が入居する9階建ての賃貸ビルも従えている。この広大な土地に、古賀政男はかつて王族が住むような豪邸を構えていたのである。 古賀政男記念博物館。奥のビルがJASRAC。 古賀政男(1904-1978年)は、昭和を代表する大衆作曲家のひとりである。戦前・戦後を通じて「酒は涙か溜息か」「東京ラプソディ」「誰か故郷を想はざる」「湯の町エレジー」などヒット曲を連発し、今日では演歌の作り手としても知られている。没後、その活躍を讃えて国民栄誉賞も授与された。 古賀が代々木上原に「音楽村」を作ろうとして3000坪もの土地を買ったのは、テイチク