サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
おみそ汁
bungologist.hatenablog.com
鉄について語らぬ訳にはいかない。人間の営みを観察する限り無視し得ない対象である。 鉄は、農機具への使用は農業生産力を、武器への利用は殺傷能力(戦闘能力)を、飛躍的に高めた。無論、それに留まるものでは無いが、鉄は為政者には国力増強と生活者には多くの利便をもたらした。鉄を制するものは国をも制する、である。 日本の製鉄は弥生時代には既に始まる(製造量は僅かにしても製鉄炉を有していた)。鉄資源は如何にもたらされ、如何に製鉄を可能ならしめたか、については既に周知のところである。古来、鉄は地表から鉄鉱石(赤鉄鉱等)と砂鉄(磁鉄鉱等)とのそれぞれ違う形状で手に入れて来た。酸化鉄が堆積して出来たか、元々岩石に含まれていたものが風化して出来たか、の違いである。 砂鉄には、川砂鉄、浜砂鉄、山砂鉄がある。川砂鉄と浜砂鉄は母岩が風化して水と反応して出来たものであるが、山砂鉄は母岩そのものを砕いて直接抽出したもので
いつの世にも避けがたい新興勢力に対する旧勢力の反駁・反抗である。ただ、豊後においてはその新興勢力が進駐軍であったことが最後まで双方の宿痾として戦国時代末まで続くことになる。 豊後の名族・大神姓緒方氏は、源義経に対する頼朝追討の院宣を受けて義経側につき奮戦する。時の棟梁は鎮西一を謳われた畏れ多き者、緒方惟栄であったが、最後は頼朝に屈することになる。大神一族を脅威ととらえた頼朝は豊後を西国では唯一、直接統治(関東御分国)することになる。12世紀末、最も信頼のおける腹心、大友氏を豊後守護に起用し送りこむ。大神姓一族は祖母嶽大明神の祭神である大蛇の子、大神惟基を祖とする。その後胤としてその数は豊後一円に37家に及んだ。さて、大友氏の豊後入りに対して大神姓大野氏を筆頭に国人衆は反旗を翻すが、結局、大友氏の軍門に降ることになる。 豊後八郡と知行面積 かつて家を継ぐ場合、分割相続が一般的であった。兄弟姉
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『bungologist.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く