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あの日から9年 福島で「原子力 明るい未来の エネルギー」標語を作った“少年”はいま | 文春オンライン
署名を集め、町に保存を要望したPR看板 筆者は、避難指示解除前の2月25日、当時アパート経営をしていた... 署名を集め、町に保存を要望したPR看板 筆者は、避難指示解除前の2月25日、当時アパート経営をしていた大沼勇治さん(44)と一時立ち入りをした。小学校時代に作った標語「原子力 明るい未来の エネルギー」が、原発推進のPR看板に採用された人物だ。自宅での荷物整理中につぶやいた「止まった町と進む時間」という一言が印象に残った。 大沼さんは現在、茨城県古河市で妻、長男、次男の4人で暮らす。2010年3月に妻と結婚し、1年後に原発事故にあう。そのときお腹の中にいた長男はすでに小学校3年生。次男は小学校1年生だ。 当時のままの店舗 大沼さんは太陽光発電の売電事業を始めた。震災後に、土地を用意し、パネルは融資を受けて作った。今では、パネルが置かれた場所を回り、エネルギー効率をよくするために掃除に出かける日々だ。その合間に、双葉町への一時立ち入りをしている。 国道6号線からJR双葉駅へ向かう途中に、かつ
2020/03/11 リンク