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ご存知ですか? 10月13日は初の皇室会議が開かれ、11宮家51人の皇籍離脱が決まった日です | 文春オンライン
いまから70年前のきょう、1947(昭和22)年10月13日、新憲法下の皇室典範第5章に従い、初の皇室会議(議... いまから70年前のきょう、1947(昭和22)年10月13日、新憲法下の皇室典範第5章に従い、初の皇室会議(議長は片山哲首相=当時)が開かれた。この会議で、皇族のうち、天皇と直接の血縁関係にある直宮(じきみや)を除く11宮家51人の皇籍離脱が決定。翌日には51人の皇族が一般市民となった。 皇籍を離脱した11宮家は、伏見宮・東伏見宮・山階宮・久邇宮・北白川宮・閑院宮・賀陽宮・東久邇宮・梨本宮・朝香宮・竹田宮家。このころ占領政策を推し進めていた連合国総司令部(GHQ)は、すでに敗戦直後より皇室財産への課税を命じていた。各宮家では財産総額の大半が課税対象とされたため、不動産などの多くを手放さざるをえなかった。梨本宮家は伊豆山の別邸を、「乗っ取り屋」と呼ばれた実業家の横井英樹に売却、これについて梨本宮守正王妃の伊都子は、「あんな三四歳の青二才、しかしこっちも税金がたすかるから……」と1946年11
2019/05/05 リンク