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納屋橋だけではない!江戸時代の「堀川7橋」はどんな存在だった?
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納屋橋だけではない!江戸時代の「堀川7橋」はどんな存在だった?
福島正則が開削し、名古屋城の物流、名古屋の経済発展に大きな影響を及ぼした堀川。 その堀川には7つの... 福島正則が開削し、名古屋城の物流、名古屋の経済発展に大きな影響を及ぼした堀川。 その堀川には7つの橋があったのはご存知でしょうか。 橋と言えば納屋橋、五条橋がわりと知られている橋のようなイメージですが、江戸時代はそれぞれ橋の立地により個性のある町になっていました。 堀川7橋をそれぞれ紹介! 実は納屋橋よりも、中橋、伝馬橋のほうが栄えていたなど今とはイメージの違う堀川の橋。 江戸時代にはどんな特徴があったのか、『堀川 歴史と文化の探索』という本を参考に、当時の堀川7橋の様子などを調べてみました。 1・五条橋 堀川の一番上流にかかる橋で、名古屋城にもっとも近い橋。 五条橋の擬宝珠は、慶長7年と書いてありますが、この橋がかけられたのは慶長15年。清越しの時に清洲から持ってきたものを使っているということで、名古屋市博物館に所蔵されていることでも有名です。 2.中橋 五条橋と伝馬橋の間なので「中橋」