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三浦までもが北条に滅ぼされた宝治合戦が壮絶~鎌倉殿の13人その後の重大事件
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三浦までもが北条に滅ぼされた宝治合戦が壮絶~鎌倉殿の13人その後の重大事件
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のクライマックスになるとされる【承久の乱】。 後鳥羽上皇の朝廷と、北条義... 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のクライマックスになるとされる【承久の乱】。 後鳥羽上皇の朝廷と、北条義時の幕府が衝突した朝幕対決は、幕府の勝利で幕を閉じます。 これで鎌倉幕府も安泰――とはならず、承久の乱からわずか26年後、今度は鎌倉幕府を二分しかねない大事件が勃発します。 宝治元年(1247年)6月5日、北条と三浦が衝突した【宝治合戦】です。 『鎌倉殿の13人』では、小栗旬さん演じる北条義時と、山本耕史さん演じる三浦義村は、盟友のような間柄。 さすがにこの両家は安泰では? と、北条は確かに討幕まで存続するものの、三浦は違います。 北条泰時の孫・時頼と、頼朝の側近であった安達盛長の子・安達景盛が、三浦義村の子・泰村や光村らを排除する事件が起きてしまうのです。 凄惨極まりない結末を迎え、三浦一族が自害を遂げたあとは今も鎌倉にひっそりと残されています。 三浦義村はドラマの演出で賢いわけではありま