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アングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)の興亡
七王国時代の開幕ブリトン人に代わってブリタニアの支配的勢力となったアングロ=サクソン諸族は六世紀... 七王国時代の開幕ブリトン人に代わってブリタニアの支配的勢力となったアングロ=サクソン諸族は六世紀から八世紀にかけて次々と王国を建国して互いに勢力争いをはじめた。この時代は有力な七つの王国――ケント(” Kent “)、エセックス(” Essex “)、サセックス(” Sussex “)、ウェセックス(” Wessex “)、イースト・アングリア(” East Anglia “)、マーシア(” Mercia “)、ノーサンブリア(” Northumblia “)――が次々栄え、覇を競ったことから七王国(” Heptarchy “、ヘプターキー)時代(注1)と呼ばれる。ただし七つの王国だけでなく中小様々な王国も存立しておよそ二十の勢力が割拠していた。 ポスト・ローマ期とは以下のように定義される。 『「ポスト・ローマ」とは、皇帝権がのちにヨーロッパとなる地域から消滅した5世紀末から、8世紀末年の
2019/05/28 リンク