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転載:辛淑玉「もう私の出番ではない」(『マスコミ市民2009・10』「在日」には「表現の自由」の段階はとっくに過ぎて今や生存権の問題なのです。この国には、(対在日や韓国人への)集団リンチはあっても集団サポートはないのです。:孫崎享のつぶやき
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転載:辛淑玉「もう私の出番ではない」(『マスコミ市民2009・10』「在日」には「表現の自由」の段階はとっくに過ぎて今や生存権の問題なのです。この国には、(対在日や韓国人への)集団リンチはあっても集団サポートはないのです。:孫崎享のつぶやき
最近、単独で来る原稿依頼は、ほぼ全て断っている。先日も「あいちトリエンナーレ」関連で「表現の自由... 最近、単独で来る原稿依頼は、ほぼ全て断っている。先日も「あいちトリエンナーレ」関連で「表現の自由」に関する原稿依頼が来たが、お断りした。 私を含む「在日」の多くにとって、もうそんな段階はとっくに過ぎて生存権の問題にまで来ているということを多くの日本人は知らないし、知ろうともしない。ユダヤ人がゲットーに押し込められ、さらには絶滅収容所で虐待をうけていた時も、ドイツ人は平穏な日常を営むことができたのと同じだ。 そして、自分達の平穏な日常がどうして批判されなければならないのかと、声をあげる者に逆ギレする。 あいちトリエンナーレの騒動は、表現の自由の問題ではない。それ以前に歴史的事実の否認という大問題が日本側にはあるのに、批判する側もそこは飛ばして、レイシストとの対話が必要と寝ぼけたことばかりいう。 安倍をはじめ、河村や大阪維新の会の首長達が歴史的事実を否認しているのをどう考えるか。それを抜きに